2006年04月28日

Django Batesについて

『Pyrotechnics』というコンピ、いまおぼえている人がどれだけいるんだろうか。たしか十何年か前のアルバムなんだけど。
これはDJなら誰でもお世話になってるテクニクスという会社が、ブルーノートと企画したコンピで、当時ブルーノートに所属していた若手のミュージシャンたちをフィーチャーしたものだった。

たぶん当時のアシッドジャズブームを意識して作ったものだったはずだけど、内容はかなりプログレッシブ。Tony Remyなど当時すでにそこそこ名が知られていたひとも参加してるんだけど、ほとんどは当時無名の、だけど、ひとくせある音を出すミュージシャンたちが参加している。

たとえばThe Mondesir Brothers、ドラム&ベースの超絶技巧兄弟。変拍子の奇天烈サウンド、このポリリズムはカンタベリーか? 恐ろしいテクニックゆえにジェフ・ベックのツアーに参加してるらしい。それにしてもこのひとたち、ぼくの知っている限りアルバムを出していない。なぜ??? インディーからでもいいから、はよ出して欲しい。

で、このコンピの中でぼくがいちばん気になっていたのは、Django Bates。
「Three Architects Called Gabrielle: Just What I Expected」というイヤになるほど長い題名の曲と、「Up Up」というそっけなく短い題名の曲と計2曲収録されているんだけど、いやあ、どちらも素晴らしい。書法はもろにスティーヴ・ライヒっぽいミニマル。ところが、やっぱりジャズなんだよね、これは。なんでこんな音楽を考えついたんだろう。

その後このムーヴメントは音沙汰なくなってしまう。気がつくと『Pyrotechnics』に参加したミュージシャンのほとんどがブルーノートから離籍してしまっていた。

そして今年になってぼくは、発見したんです。Django Batesのあの2曲が入っているアルバムを!『Summer Fruits (And Unrest)』。

このひとの書法は独特だ。ロックやミニマル、ブラスサウンドや挙句のはてにはジンタ(!!)まで。ときどきザッパ的な音やポリリズムまで聴こえる始末。とにかく節操がないというか間口が広いというか。しかも、だからといってフュージョン的な手法に走るわけでもなく、パッチワークのような書法でモジュールをつないでいく。これはおもしろい!

Django Batesって、これまで正当なジャズファンからもクラブ系のDJ達からも、不当に無視されてきた人かもしれない。とくにブラスサウンドが好きな人、実際に演奏している人は一聴すべきだろう。バリトンサックスやチューバの使い方は、さらっとやっちゃってるけど、結構ぼくの耳にビビッとくるんだ。ライブを聴きたいな。

PYROTECHNICS / V.A.PYROTECHNICS
V.A.

Blue Note / 東芝EMI
1992-12-02
ASIN: B00007LKWH
by G-Tools


Summer Fruits (And Unrest) / Django BatesSummer Fruits (And Unrest)
Django Bates

Winter & Winter
1993、2005-03-08
ASIN: B0006BLIFE
by G-Tools
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2006年04月25日

カタログの理想形

アルフレッド・ライオンは天才だった。彼は「ジャズ」というムーブメントの変容を記録し続けたが、それだけではなく、ブルーノートというレーベルによってジャズそのものを体現した。中山康樹はこう書いている。

ブルーノートのアルバムは、ほぼ例外なく”アルバム”としての高い完成度をもっている。だが仔細にみれば、その多くのアルバムが必ずしも一回のレコーディングから生まれた演奏だけで構成されたものではないことがわかる。数回のセッションから一枚のアルバムが構成されることもあれば、録音時期のまったく異なる演奏を合体させることによってアルバムがつくられることもすくなくない。にもかかわらず、それが”アルバム”としての個性と物語性、ひいては比類なき完成度をもつにいたった背景には、いうまでもなくアルフレッド・ライオンの存在がある。すなわちミュージシャンは演奏し、ライオンはアルバムをつくる。極論すれば、そのライオンの感覚と見識こそが、プレスティッジやリヴァーサイドといった他レーベルとの質的な落差を生む要因となる。よってブルーノートとそれらとの距離は、近いようで遠い。まさにライオンは「ただの一音も発することなく”演奏”した」(マイケル・カスクーナ)
ライオンの名前がアルバムのジャケットにクレジットされたことはない。しかし、ほとんどのレコーディングには立ち会ったし、アルバムの構成はライオンが行っていた。

同時にエンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーやフォトグラファーのフランシス・ウルフ、デザインを担当したリード・マイルズがいなくては、やはりブルーノートは存在しなかった。(あんなに「Jazzy」なジャケットをデザインし続けたリード・マイルズは、音楽の趣味はクラシック一辺倒で普段はジャズなんて聴いていなかったのだという。)

カタログ本の話を以前書いたけれども、この著者の筆力はすごい。すごいのも当然、元「Swing Journal」編集長なんだよね。博覧強記なうえに文体の洒脱さも素敵。こんなカタログ本が理想だ。

超ブルーノート入門完結編―4000番台の至福/中山康樹超ブルーノート入門完結編―4000番台の至福
中山康樹

体裁=新書: 238 p ; サイズ(cm): 18
集英社(集英社新書)
2004-01
ISBN: 4087202267
by G-Tools
posted by Dr.DubWise at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | sounds | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月24日

不完全であることは善いことだ。

故あって、こっそりブログを移転することにした。
訳は簡単、単に「しがらみ」の問題だ。

ぼくにとってブログってのは、ある程度リアルな世界から遊離していて欲しいものだ。「ここ」には、多分に自分の希望や夢やへタレごとも含まれている。ぼくにとってそれはとても大切なことがらで、コルクボードにピンで留めるみたいに貼りつけておきたい。カラスはピカピカ光るガラクタを自分の巣に集める習性がある。ぼくはカラスじゃないが、大切なものは宝箱にしまっておくべきで、ときどき「わかる人」に確認してもらったらそれで十分だと思っている。
そうそう、ぼくの大好きなフランツ・カフカ、その名Kafkaはチェコ語で「カラス」を意味しているんだった。

+ + +

と、書いてはみたものの、いまなにか特別に書いておきたいことがあるわけでもない。そこで以前のブログでもやってたみたく、いま読んでいる本から気に入ったフレーズを引用してお茶を濁すことにする。

最近、ロバート・ブラウニングの対訳詩集が岩波文庫から出版されている。そこからこの詩を。

  失われた恋人

  T
 それじゃ、すべておしまいということか――誰でも最初
  そう信じるように、真実は苦しいものなのか?
 耳をすましてごらん、雀がおやすみと囀っている
  きみの田舎家の軒さきで!

  U
 蔦の新芽が羊毛のようだ
  ぼくは今日それに気がついた
 あと一日ですっかり開いて
  ――赤が灰色になるんだね

  V
 じゃあ、明日もまた同じように会わないか、最愛のひとよ!
  きみの手を握ってもいいかい?
 ぼくらはただの友達――そうなんだ、ただの友情が
  守ってくれる、ぼくがあきらめる多くのことを

  W
 あんなに輝く君の黒い瞳の一瞥を
  ぼくはせつない思いで心に留めているけれど――
 スノードロップの花を返してね、と言ったときのきみの声、
  それがいつまでもぼくの魂にとどまっている!――

  X
 ぼくはね、ただの友達のように話したい、
  それとも思いだけはもっと強くもっていようか
 みんなと同じように、きみの手を長く握っていたい
  みんなよりもほんの少しでも長く!


ぼくは英文学を専攻したわけではないから、ブラウニングの名は知っていても、彼が日本でどんな評価をされているかなんてよくわからない。
解説によるとチェスタトンが興味を持った詩人なんだという。しかし、その興味の行き先は詩自体よりも、ブラウニングの凡庸な社交家としての一面とその晦渋な作品との乖離についてだった。
上に引用しているのは、ブラウニング中期(1845年)の作品だ。一読わかりやすい失恋の詩だけれども、チェスタトンの見方だけでも興味がわいてくる詩人じゃないか。ぼくだって限りなく凡庸な人間に過ぎない。

だけど、だ。
ブラウニングの詩は明るい。失恋の詩を多く書いているけれど、なんだか明るい。この明るさは、解説にあるように、ブラウニングは不完全なものに希望をみているからだ。安易に超越的なものに希望を託さずに、不完全であることそのものに希望を見いだそうとしたからだ。

ぼくもそれに同意する。嬉しいときに嬉しさを、悲しいときに悲しさを、可笑しいときに可笑しさを、アンニュイなときにそのアンニュイを、このブログに書きつけ考えながら、何かを見つけることはできるんじゃないか。

ここではないどこかへ。
ぼくたちがどこかへ行きつくことがあるのかわからないけれども、その「どこか」を探しながら生活することだけが、唯一の倫理ってやつじゃないか。

そう思う。

4003229010対訳 ブラウニング詩集―イギリス詩人選〈6〉
富士川義之 編

体裁=文庫: 341 p ; サイズ(cm): 15 x 11
岩波書店(岩波文庫)
2005-12
ISBN: 4003229010
by G-Tools
posted by Dr.DubWise at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | cahier | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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