2006年09月30日

運動会ないちにち。

どこかで見たような写真だね。

数日前からあゆむさんは発熱。40度も高熱が出てヒヤヒヤしたけど、今日の運動会までに熱が下がったのには驚いた。おそるべき執念。あゆむさんの毎日の練習も、ともちゃんが用意した衣装も無駄にならず、よかったよかった。
あーちゃんといーちゃんも駆けつけ、あゆむさんは朝からやる気マンマン。額からドーパミンがにじみ出てくるほどにハイテンション。

出番を待つ。  真剣に走る(が、結果はドベ)。  お弁当大杉。  食事が終わったらギャング化する子どもたち。

今年はともちゃんが大活躍。体操、綱引き、リレーにも出場。リレーは転倒しながらも、よく頑張った。以下、大転倒までの軌跡↓↓

ママは真剣に走る。  超走る。  ゴールだあああああっ。  こけた。

お遊戯は氣志團の「ワンナイトカーニバル」。毎年恒例の仮装に必死になる保護者たち。うちも例外ではありません。正直、あゆむさんのあまりのワルさに軽くびびりました。

あゆむさんは氣志團に。  やる気まんまん。  踊りまくる。  先生もイカシテルゼ。

ああああああ、疲れた。でも、楽しかった。
お腹いっぱいないちにち。

激嬉中のともちゃん。
 
ラベル:運動会 写真
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2006年09月29日

体験としての映画

蓮實 山口昌男さんは教養がないから20年代のウィーンの作曲家で日本ではあまり知られていないコーンゴールドなんてことをつい言っちゃうわけですが、ダニエル・シュミットが『ラ・パロマ』でコーンゴールドの「死の都」を奇妙なかたちで使った時、われわれにとってはどうしてもエロール・フリンのコーンゴールドの前身ってことになるわけですよね。ですから山口さんの教養では、シュミットとの悪戯は読めない。エロール・フリンのコーンゴールドの記憶を持っていないというのが彼の最大の弱みだって気がするな。
武満 ぼくは山口さんとは親しいし、映画の話などして、共感することは多くある。教えてもらうこともたくさんありますが、でも、言わせてもらえば、なにしろぼくは、映画を観ることが考えたりものを識ったりする以前から始まっているので、蓮見さんの書いておられることで共感する部分は、視線が先にあるということなんですね。思考は、自分で眼にしたことからはじまるべきだと思うんです。映画のほんとに素晴らしい体験は、観たことを考えるんで、山口さんのように、考えてから見るのはよくないんじゃないでしょうか。
蓮實重彦と武満徹の対談集。300ページ、まるまる映画の話。
両者ともこの当時、年間150本ほどの映画を観るシネフィルであった。というわけで丁々発止な、恐るべき「映画体験」と「教養」の取っ組み合いになっちゃって、読むほうも陶酔してしまう。っていうか、蓮實さんの途方もない知識の渦におぼれず自分のペースを守り続ける武満さんが超クール。

読んでて楽しいのは「映像と音の誘惑」と「映画・夢十夜」の2つの対談(放談?)。好き勝手言っていて、もう時効とはいえヒヤヒヤする。けれども、こういう内幕話だって「教養」の一部だったりするのだ。

+ + +

ここ10年ほど東大では教養学部を中心に「教養の見直し」が盛んに行われていて、そりゃあやらないよりはやったほうがいいけれども、例によって蓮見さんはこれに批判的だった。とくに「教養の方法論」をまず教授する、っていうやり方に眉根を寄せていたようだ。

たしかに蓮實的教養ってのは「考える以前に体験する」ことがベースになっている。映画を観て、なんとなく、だけど否応なく、頭にこびりついてしまうシーン。なぜそうなのか、それを自分なりに探し始めるところから教養が得られる。映画とは、体験に他ならない。だから年間150本も見ざるを得ないのだ。
武満さんと話があったのは、そういう「教養観」が近しかったからだろう。

+ + +

ぼくの敬愛する淀川長治さんのことも話題になっている。長いけど引用しておく。(あゆむさん、君もこういう大人になってくれ。)

蓮實 淀川長治さんと『世界』で対談されたのは非常に嬉しかった。ぼくは若い人たちに常に言っているんです。淀川さんは素晴らしいって。でも、連中はバカにしているんですよね、テレビに出てくるというだけで。ぼくは水野晴郎氏でさえ、彼が日本に入れてくれたさまざまなヒッチコックの映画ゆえに、やはり感謝しているわけです。それとは違う意味で、淀川さんというのは見事ですね。テレビの解説を見ていても、いまほんとにほめているのか、いないのかというのが・・・。
武満 すぐわかるんですね。あの方のテレビの顔を見ていると。
蓮實 顔でもわかるし、全身からわかるんですね。
武満 最初見たらわかりますね。これはつまらない映画だということが。
蓮實 「恐いですね、恐いですね」と言っていながら、ちっとも恐くないって顔をわざとしてみせたり。「はい、写真見せてください」っていう、そのひと言で全部わかっちゃう。あれはやっぱり映画ですねえ。あれを識別できない人には映画もわからないんじゃないかっていう気がする。
武満 淀川さんから「武満さん、あなた、好きな映画監督誰ですか?」って訊かれて、「ちょっと恥ずかしいんですけど、ルビッチも好きだし、ジョージ・キューカーなんて、わりと好きなんです」って言いましたら、「まさか。嘘でしょう。ませてるわね。わかるわけないわよ」なんて言われた(笑)。まいったな。
蓮實 やっぱりね、彼にしてもそう簡単に好かれちゃ困るんじゃないかしら。いちど、全くつまらない映画の最後に「この映画、雨が降りましたね」っていいはじめた。で、「はい、写真見せてください」って言うんで見たら、その映画とは無関係の雨なんですよ。シュトロハイムの雨なんです。「はい、すごい雨でしたね、大粒の雨がポタポタ落ちましたね」。彼は全く無関係に『愚かなる妻』の話をしている。あれは感動的でしたね。全然その映画とは関係ないんですよ。「はい、それでは来週」って切れちゃうんで、知らない人は何だかわからないだろうと思う。文学でも新聞の文芸批評やる人たちは、せめてあのぐらいの芸がなければ批評家として落第だと思いますね。
『シネマの快楽』蓮實重彦・武満徹シネマの快楽
蓮實重彦・武満徹

文庫: 301ページ サイズ (cm): 15 x 11
河出書房新社
2001-05
ASIN: 4309474152
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豚肉のリンゴ煮(Minutal Matianum)

最近、料理の本をいくつか読んでいる。食物史とか料理史とかいわれる分野の本。ジャン・ボテロの『最古の料理』という、めっぽうおもしろいメソポタミアの食物史の本と平行して読んでいたのが、『古代ギリシア・ローマの料理とレシピ』。あまり中身をチェックせず入手して読み始めたんだけれども、これは食物史というよりはレシピ本だな。
著者のAndrew DalbyとSally Graingerについては、どんな人物かほとんどわからない。Grainger女史は学者というよりは料理研究家といわれるひとっぽい。Dalby氏は文献学者かもしれないが。

ぼくは、青木正児的な「名物学」に興味があるんであって、アピキウスのレシピを現代風にアレンジすることにはほとんど興味がない。古代世界と現代の「味覚の編成」の差異が重要なのだ。だからこの本は読み始めてすぐに「こりゃあ失敗したなあ」と思ったのだった(翻訳もひどいし)。

ただ、古代ギリシアや古代ローマの料理は、ハーブ類を多用した「エキゾチック」なものだったらしいことはよくわかる。
基本的な味つけにはガルム(魚醤)とハチミツが多用され、これにタイムやオレガノ、コリアンダー、ミント、ローリエなどのハーブ類が組み合わされた。そのほか、アサフェティダやラヴィッジ、ヘンルーダのような日本人にはほとんど馴染みのないハーブ類も使われていた。

試みにレシピをひとつ引用しておく。

 ◆ 豚肉のリンゴ煮

ミヌタル・マティアヌム(Minutal Matianum)。鍋に油、魚醤、スープを入れる。リーキ、コリアンダーを細かく切り、ひき肉は小さなボールに丸める。ゆでた豚肩肉はさいの目状に切る(パリパリした皮は残す)。すべて一緒に煮る。途中芯を取り、さいの目に切ったマティアンリンゴを加える。コショウ、クミン、新鮮なコリアンダーかコリアンダーシード、ミント、アサフェティダの根をすり鉢でいっしょによく混ぜる。そこへビネガー、ハチミツ、魚醤、少々の濃縮ブドウ汁、豚肉の煮汁を少し加え、ビネガーで香りをつける。これを豚肉に加え煮、パン粉を加えてとろみをつけ、コショウをふりかけ供する。
   アピキウス『アピキウスの料理書』(4,3,4)

  [材料 4人分]

 骨ぬき豚赤身 450g
 牛挽肉 230g
 リンゴ 中2個(450g)
 溶き卵 1個分
 セロリ 1枝
 リーキ 1本
 ハチミツ 大さじ3
 月桂樹 1枚
 粒コショウ 5個
 白ワイン 250cc
 白ワインビネガー 140cc
 オリーブオイル 大さじ2
 魚醤 140cc
 クミン 小さじ2
 コリアンダーの葉 片手いっぱい
 コリアンダー(粉末) 小さじ2
 生のミント(みじん切り) 小さじ2
  (または乾燥ミント 小さじ1.5)
 挽きたての黒コショウ 少量
 アサフェティダ粉 小さじ1
  (またはアサフェティダ液 5滴)
 コーンスターチ 少量

  [作り方]

@ 鍋に水を入れ、豚肉、ハチミツ大さじ1、月桂樹、粒コショウ、セロリを加えて1時間煮たあと、そのまま冷ましておく。

A 牛挽肉に溶き卵を加え、小さなボールに丸める。

B リーキはうす切り、コリアンダーの葉はみじん切りにする。リンゴは皮をむき、芯を取り、スライスする。

C 大鍋にワイン、豚肉の煮汁150cc、ビネガー、オリーブオイル、魚醤、残りのハチミツ大さじ2を入れ、@の豚肉をさいの目に切り、A、Bを加え、約30分煮る。

D ほとんど煮えたら、クミン、コリアンダー、アサフェティダ、ミントを加え、コーンスターチでとろみをつけたあと、黒コショウをたっぷりふりかけて供する。
『古代ギリシア・ローマの料理とレシピ』アンドリュー・ドルビー、サリー・グレインジャー Andrew Dalby and Sally Grainger古代ギリシア・ローマの料理とレシピ
アンドリュー・ドルビー、サリー・グレインジャー
Andrew Dalby and Sally Grainger
今川香代子(訳)

単行本: 228ページ サイズ (cm): 19 x 13
丸善
2002-07
ASIN: 4621070681
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2006年09月28日

incidents 003

悪夢明け。

夢。

大きな伽藍にいる。丸天井で巨大な梁が放射状に伸びている。ところどころ窓があり、曇り空が見えている。それ以外に窓はない。床には白い大理石が敷き詰められていて、天窓の光がところどころ落ちている。カトリックの聖堂というよりも、イスラムのモスクのようだ。

壁には素晴らしいレリーフが刻まれている。高さ3メートルくらいだろうか。砂岩でできているらしく、触ると砂が落ちる。
レリーフは神話をモチーフにしているようだがよくわからない。すべて魚の頭をした人物ばかり。戦ったり、凱旋したり、王宮でくつろいだりしている魚頭の王族たち。

突然ぼくはこの大伽藍に出口が見当たらないことに気がつく。ということは、この大伽藍のこのレリーフのことを知っているのは、世界でぼくだけだということだ。

王のレリーフの前に座り、ぼくは幸せと不安に浸る。

+ + +

別の夢。

大きな川のほとりにいる。空が暗い。真冬の陰惨な空。ぼくは草が生い茂った川べりにひとり立っていて、遠く川下には橋が見える。橋には子どもが2人立っている。

ぼくは右手に臓物のような気味の悪いものがまとわりついているのに気がつく。左手で「臓物」を毟り取るが、まるでゼラチンのようにぶつぶつと切れ、ぐちゅぐちゅと崩れながら草むらに落ちる。血なまぐさい臭いが漂う。
川の水で手を洗おうとするが、暗くよどんでいて躊躇する。数メートル先に動物の死骸が浮いていて、油が浮き、吐き気がするような腐敗臭が漂ってくる。それでも両手の血の感触に耐えられず、ぼくは手を洗う。

しかし右手の「臓物」がどうしてもとれない。よく見るとこの「臓物」は手のひらから「生えて」いる。毟り取っても毟り取っても、手のひらから「生えて」くる。

ぼくは半狂乱になって「臓物」を毟り続ける。
 
ラベル:
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2006年09月26日

Hipgnosis

アルバム・ジャケットの分野で革新的な活動を行ったヒプノシス(Hipgnosis)。1970年代の「グラフィッカーズ」みたいな感じ。
彼らはピンク・フロイドのアートワークを担当したことで有名なんだけれども、こうやって眺めてみると、そうそうたるバンドのジャケをデザインしたんだなあと改めて驚く。

クールだなあ。

『Quatermass』QUATERMASS,1970
『Quatermass』QUATERMASS,1970

『Phenomenon』UFO,1974
『Phenomenon』UFO,1974

『Wish You Are Here』PINK FLOYD,1975
『Wish You Are Here』PINK FLOYD,1975

『Deceptive Bends』10CC,1977
『Deceptive Bends』10CC,1977

『Never Say Die!』BLACK SABBATH
『Never Say Die!』BLACK SABBATH,1978

『Difficult To Cure』RAINBOW,1980
『Difficult To Cure』RAINBOW,1980
 
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2006年09月25日

大野城にボウケンジャーが来ていた。

緊張気味のあゆむさんとボウケンジャー。

大野城の「大文字まつり」に行ってみました。
こういう市民のお祭りって楽しい。テキ屋さんもたくさん。地元の商店会の出店もたくさん。
あゆむさんはただただ、ボウケンジャー・ショーにドーパミン大爆発状態。異常に真剣に見入っていた。怪人が客席に乱入したときはかなりなビビリ具合。

闘うボウケンジャー。  真剣に見る。  超上機嫌。

ともちゃんは、ここぞとばかりにテキ屋さんや出店をまわって、クジを引いたり射的をしたり食べたり。ともちゃんはずっと、ぼくが焼きイカを嫌いなものだと思っていたらしい。ぼくは昔から好きなんだけど。

付き合いが長いと思っても、お互い知らないことってあるんやね。

射的に興ずるともちゃん。

じゃがバターを食す。
 
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2006年09月24日

Otto Dix

Self-portrait of Mars,1915
Self-portrait of Mars,1915

Shellhole with Flowers,1915
Shellhole with Flowers,1915

Meal Time in the Trenches,1923-1924
Meal Time in the Trenches,1923-1924

The Bombing of Lens,1924
The Bombing of Lens,1924

Stormtroopers during a Gas Attack,1924
Stormtroopers during a Gas Attack,1924

War Triptych(detail of middle panel),1929-1932
War Triptych(detail of middle panel),1929-1932

塹壕の中で生まれ死んだ画家、オットー・ディクス(1891 - 1969)。
バルラハやエミール・ノルデらと終生戦争を見つめ続け、〈退廃芸術家〉として粛々と20世紀のimago mundiを描き続けた。

Otto Dix Web
 
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2006年09月23日

スカーレット・ヨハンソン

Cut 2006年10月号

えと、スカーレット・ヨハンソンです。ぼく、好きです。
凄いですね。とても21歳とは思えない堂々たる女優っぷり。
(ぼくは本来「作家主義」なので、女優や俳優で映画を観ることはごく少ないんだけど、スカーレットは数少ない例外のひとり。)

「Cut」の今月号には、たかだか数枚のポートレートと、少し長めのあまり実のあるとは思えないインタビューが乗っているだけですが、この存在感はやっぱりすごい。10代のときから「魔性の女」的ゴシップも彼女のアウラの証しじゃないかねえ。

ウディ・アレンがスカーレット・ヨハンソンに目をつけたのはすごく納得。「執着の作家」アレンらしい。
ブライン・デ・パルマの『ブラック・ダリア』も楽しみ。

Cut 2006年10月号Cut 2006年10月号

雑誌,月刊版
サイズ (cm): 37 x 26
ロッキング・オン
2006-09-19
ASIN: B000I5YNBE
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F-B

Study after Velazquez's Portrait of Pope Innocent X ,1953
Study after Velazquez's Portrait of Pope Innocent X ,1953

Portrait of George Dyer Talking, 1966
Portrait of George Dyer Talking, 1966

Version Two of Lying Figure with Hypodermic Syringe, 1962-1968
Version Two of Lying Figure with Hypodermic Syringe, 1962-1968

Self-Portrait, 1971
Self-Portrait, 1971

Triptych, 1979 - Center Panel
Triptych, 1979 - Center Panel

というわけでフランシス・ベーコン。素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい。
F-Bの絵はいつも、脳の奥が重く痺れてくるような感覚をもたらしてくれる。同時にぼくのなかの〈肉〉がざわめくような不思議な感覚も。
苦痛と快楽、喪と祝祭が、F-Bの絵の中でアマルガムと化す。

imago mundiというよりはrex mundiだな。

Francis Bacon Image Gallery
 
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2006年09月22日

Bogdan Jarocki

HuMaN + SeLfDeStRuCiOn
HuMaN + SeLfDeStRuCiOn

HuMaN + AdDiCtIoN
HuMaN + AdDiCtIoN

HuMaN + GrEeD
HuMaN + GrEeD

....someone has written a short letter with my hand....
....someone has written a short letter with my hand....

HuMaN + AdDiCtIoN
HuMaN + AdDiCtIoN

最近知った写真家、Bogdan Jarocki。
バイオグラフィー等詳細は不明だけれども、ジョエル=ピーター・ウィトキンとフランシス・ベーコンを足して2で割ったような質感で、かなりなぼく好み(我ながら安直な比喩であるが)。

F-B的な肉塊的生々しさとか祝祭性はなく、被写体はみなゴーストのように、あくまで「影」として印画紙に定着している。
ウチュウジンが送ってきた電送写真みたいだ。

Bogdan Jarocki@ALTphotos
 
ラベル:写真 イメージ
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2006年09月21日

分け前 牙一本だけ。

Drawing of Arthur Rimbaud by Paul Verlaine
Drawing of Arthur Rimbaud by Paul Verlaine

「郵船会社」支配人宛
       マルセイユ、1891年11月9日

 分け前 牙一本だけ。
 分け前 牙二本。
 分け前 牙三本。
 分け前 牙四本。
 分け前 牙二本。

支配人殿
貴殿との勘定に未払い分がないかおたずねします。私は今日、この船便を変更したいと思います。この便は名前すら知りませんが、ともかくアフィナールAphinarの便でお願いします。こうした船便はどれでも、どこにでもあります。それでも私は、手足が不自由な、不幸な人間であり、何も自分では見つけられないのです。街頭で出会う最初の犬に聞いてみても、そのとおりだと答えるでしょう。[le premier chien dans la rue vous dira cela.]
それゆえ、スエズまでのアフィナールの便の料金表をお送り下さい。私は全身不随の身です。したがって早い時刻に乗船したく思います。何時に船上へ運んでもらえばよいかお知らせください・・・
+ + +

エクトル・ザズーが1992年に発表した企画盤『Sahara Blue』。ランボー没後100年を記念して作られたアルバムで、たしかフランス文化省が後援していたのではなかったか。
最後の曲名は「Lettre au Directeur des Messageries Maritimes」で、アルチュール・ランボーが人生の最後に書いた手紙を元にしている。ビル・ラズウェルのビートにリシャール・ボーランジェの手紙の朗読、デヴィッド・シルヴィアンのテキストと声。

アルチュール・ランボーは20歳そこそこで詩を捨て、37歳で死ぬまでエチオピアで交易に従事した。ランボーがアフリカにいた頃、パリではヴェルレーヌらの紹介によって再び名声が増していたが、それを知ってもまったく無視した。

1891年、ランボーは骨肉腫を患いマルセイユへ帰る。足を切断したが時すでに遅く、妹のイザベルに看取られて死ぬ。死の間際に口述筆記させたのが引用した手紙だ。
朦朧とした意識のなかで、うわごとのようにつぶやいた言葉。「アフィナール」という地名は存在しない。イザベルが聞き間違ったのか。それとも、ランボーの心の中の幻の〈どこか〉か。

アデンのランボー(1885年?)
アデンのランボー(1885年?)

アフリカ時代の手紙類(母親や妹、あるいは雇い主などへ宛てたもの)をどう評価したらよいだろうか。
たとえば、先月発売された青土社版『ランボー全集』には「その他の書簡」として収載されている(かなりの分量だが、現存する手紙を全て網羅しているらしい)。
訳者は「ランボーの詩を味読する際に必要なランボーの人物像を、あくまで巨視的に考えるための参考として読むべき」との趣旨の説明を、わざわざ「あとがき」に記している。
というのは、アフリカ時代の手紙類に対する過剰な読解が、数年前日本では行われたことがあるからだ。『ランボー全集』の訳者たちは、このような読解を名指しで厳しく批判する。

みずからを〈詩人〉たらしめることを真剣に願う少年が書いた「文学書簡」については異論の余地がないとしても、文学との絶縁を決意し、それを行動で示し、後年自分の名声が首都の詩壇で高まっている噂を耳にしてもまったく関心を示さなかったランボーが書いた「その他の書簡」は、彼の詩の理解に役立つだろうか。詩を否定する人物の書いた手紙は、われわれが彼の詩を読むときのヒントになるだろうか――はっきり言おう、これらの書簡は詩を理解する直接の助けとはならない。ましてや、これらが『イリュミナシオン』に劣らぬ文学的価値を秘めており、ランボーは手紙という形で詩の営みを生涯継続したとする、数年前わが国に出現した説(鈴村和成『ランボー、砂漠を行く――アフリカ書簡の謎』岩波書店、2000年)は論外である。その種の説は、言説の質の相違を、そして書くことへの関わり方の違いを顧みない、まったく抽象的な空想である。
この批判はまったく正当なものなので、これ以上何もつけ加える必要はないだろう。だが・・・

ランボーはなぜアフリカに去ったのだろうか。
アフリカで何を見たのだろうか。
これは、ランボーの詩とは別に、考えることだ。ランボーの詩を読み取ること、味読すること、そのなかで自足していていいんだろうか。

voyant(見者)が、アフリカで何を見たのか、ぼくはそれを知りたい。

『ランボー全集』平井啓之・中地義和・湯浅博雄・川那部保明(訳)ランボー全集
平井啓之・中地義和・湯浅博雄・川那部保明(訳)

単行本:1221ページ
青土社
2006-08
ASIN: 4791791681
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『Sahara Blue』Hector ZazouSahara Blue
Hector Zazou

Made to Measure
1996-04
ASIN: B00000ARXD
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+ + +

ちなみに、ランボーとは関係ないけどエクトル・ザズーつながりで。
コルシカ島のポリフォニーを、ザズーがプロデュース&アレンジしたアルバム。電子音の繊細な織物の上に、ブルガリアとはまた違う感触のポリフォニーがのっかる。たいへん美しい。初めてFMで聴いたとき、正直鳥肌がたった。坂本龍一やジョン・ケイルも参加している。
秋の夜長、こんな音楽を聴きながら眠るのも素敵。

10年以上前、日曜正午に坂本龍一がDJしてたFM番組があって(番組名は失念)、そこでこのアルバムが紹介されたのだった。
細野晴臣がゲストで、「細野さんのオススメなアルバム」ということでの紹介。坂本本人は自分が録音に参加したこのアルバムを綺麗さっぱり忘れちゃってたようで、ずいぶん細野さんに突っ込まれていた。(ところがその数ヵ月後、某音楽誌に「坂本龍一のオススメなアルバム」という企画を発見。このアルバムの名前がありました。おいおい。)

『Les Nouvelles Polyphonies Corses』Nouvelles Polyphonies CorsesLes Nouvelles Polyphonies Corses
Nouvelles Polyphonies Corses

Mercury
2000-06-20
ASIN: B0000084DU
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発熱の夜に

杉の木だち

子どもの頃、ぼくは二段ベッドに寝ていた。妹は上に、ぼくは下に。窓の脇に二段ベッドがあったので、下で横になっていても窓越しに庭の木々が見えた。
窓からいちばんよく見えていたのは樫の木。秋になるとドングリをたくさん落とした。庭を手入れする人なんていなかったから、葉もドングリも落ち放題だった。

ぼくはベッドに入ると寝入るまで、このドングリの木と夜空を見ていた。月夜には、葉が風に揺れる様子がよく見えた。
葉がさわぐ音、枝が風を切る音、ドングリを落とす音。
ちょっとセンチメンタルな謂いになるけど、ぼくはこのドングリの木と友だちだった。ベッドに入るといつも、心の中で、ぼくはこの木に話しかけていた。

+ + +

たしか、小学2年生の頃の先生が「植物にも心があるんだよ」というようなお話をしてくれた。
ん? テレビに出ていたエピソードなんだっけ?
とにかく「殺人犯をサボテンが覚えていた」云々というお話が心に残っていたぼくは、きっとこのドングリの木にも魂があるし話もできるんじゃないかと信じていた(そして十数年後、工作舎の『植物の神秘生活』を買って何度も読み返したというのは余談)。
毎日毎日、ベッドから挨拶をして、その日あったことをドングリの木に話した。

小学3年の頃のことだ。インフルエンザだったか、とても高い熱が出て何日も寝込んだことがあった。昼も横になっていたから、夜は眠れない。みな寝静まった夜、ぼくは一人だった。

いつものようにぼくは、ドングリの木に話をしていた。それ以外やることがなかったから。
当然、「お話」といってもぼくの一方的な(しかも心の中だけの)おしゃべりに過ぎなかったけれど。
でもその日だけは違った。〈声〉が返ってきたのだ。

低くて重々しくて、でも澄んでいる男性の声だった。誰の声にも似ていない、いままで聞いたことがない声が、たしかにぼくの心の中に広がった。
あの日のドングリの木の姿。月夜に葉を広げ、青い月の光をいっぱい浴びている姿を、ぼくは思い出す。

ぼくは嬉しくて嬉しくて、夢中で話をした。あまり驚きはしかった。ずっとぼくはこの木に話しかけていたし、だから、いずれ話が出来るようになると「知っていた」からだ。とにかく応えてくれたことに喜びを感じた。

自分のこと、家族のこと、学校のこと、困ったこと、悲しいこと、楽しいことを話した。彼は静かに「そうか」「それはたいへんだね」「かなしいね」と応えてくれた。夢中だったから思わず声を出してしまうと、彼は「妹が起きちゃうぞ」と言った。
ドングリの木は、自分がどうしてここにいるのか(曰く、ぼくが生まれるずっと前に、おじいさんが苗を植えたんだそうだ)とか、フクロウの友だちのこととか、とても楽しそうに話してくれた。
ずいぶん長いこと話をしていたと思うけれども、いつのまにかぼくは眠ってしまった。ドングリの木の「おやすみ」という声をよくおぼえている。

翌日、目が覚めるとまっさきにドングリの木に挨拶をした。だけど返事をしてくれなかった。もう明るくなったからかなあ、と自分なりに理由を探して納得した。彼とお話ができるのは夜の魔法だ。
でも、次の夜も話はできなかった、その次の夜も。結局二度とドングリの木の声を聞くことはなかった。いくら話しかけても、彼が応えることはなかった。それでも、その後もしばらくの間、話しかけ続けていたと思う。
さすがに中学生になって、なんとなく納得したのだった。熱にうなされていたから、と結論づけて。余計な知恵がついたってことだろうかねえ。

+ + +

たしかに、いちばん合理的な説明は「熱にうなされて」ってことかもしれない。「解離」というのもありうる話だ。だけど、最近のぼくは少し違うことを考えている。

・・・ぼくはこの世界の、いつもは見えない「相」を見たのかもしれない。

ちなみに、ぼくはオカルトな話をしたいわけではありません。ぼくは普段からそういうものには批判的なスタンスをとっています。だからぼくは、この世と隣り合った「スピリチュアルな世界の説明」をしたいわけじゃない。そんなの、とてつもなくくだらない。

うまく言葉にできないなあ。
たとえば、氷を見たことがない人に氷を説明するにはどうしたらいいんだろうか。コップの中の水を見せて、この水の「別の相」が氷なんだよって説明するにはどうしたらいいのか。スピリチュアルにも説明できるだろうし(水の持つ固有の波動が、温度を低下させることによって月の波動と共鳴しはじめ、その引力によるエレメンタルなパワーが凝集効果を呈する云々)、もちろん純物理学的にも説明できるだろう(説明割愛)。

とにかく、要するに〈リアル〉ってのは、世界の「相」であって、複数存在しうると思うのです。
ぼくはあのとき、いつもとちがう〈リアル〉に触れたんじゃないだろうか。木々と話ができるような、「捨てたもんじゃない」世界もまた〈在る〉んじゃないだろうか。大真面目に、そう思うのです。

だって、ぼくが子どもの頃住んでいた家は、もともと曽祖父母の家のあった場所に建てられていて、たぶんあのドングリの木も曽祖父が植えたに違いないから。これを親戚に聞いて知ったのは、ずいぶん後になってからだ。

+ + +

長田弘は『人はかつて樹だった』という詩集のあとがきに、こう書いています。

日々にもっとも親しい存在は、とたずねられたら、毎日その下の道を歩く一本の欅の木、とこたえる。その樹はいつも変わらないすがた、かたちをしている。けれども、何一つ変わらないようでいて、その樹に近づくとき、自覚して、見あげると、一日一日、樹は、おどろくほどちがうすがた、かたちを、黙って生きているのだということに、ふっと息をのむことがある。
そしてこんな詩も。

  むかし、私たちは

 木は人のようにそこに立っていた。
 言葉もなくまっすぐ立っていた。
 立ちつくす人のように、
 森の木々のざわめきから
 遠く離れて、
 きれいなバターミルク色した空の下に、
 波立てて
 小石を蹴って
 暗い淵を残して
 曲がりながら流れてくる
 大きな川のほとりに、
 もうどこにも秋の鳥たちがいなくなった
 収穫のあとの季節のなかに、
 物語の家族のように、
 母のように一本の木は、
 父のようにもう一本の木は、
 子どものように小さな木は、
 どこかに未来を探しているように、
 遠くを見霽(みはる)かして、
 凛とした空気のなかに、
 みじろぎもせず立っていた。
 私たちはすっかり忘れているのだ。
 むかし、私たちは木だったのだ。


+ + +

不思議なことに、ぼくはあのドングリの木の名前をどうしても思いだせないでいる。ちゃんと教えてもらったのに。少し長くて、ギリシア神話に出てくる人のような名前。絶対に忘れないようにしようと、あのとき思ったのにな。

『人はかつて樹だった』長田弘人はかつて樹だった
長田弘

単行本: 90ページ
みすず書房
2006-07
ASIN: 4622072297
by G-Tools

 
ラベル: 長田弘
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2006年09月19日

Smith !

リハ中。

台風は怖かった。甘く考えて雨戸もせずにいたのが大間違い。風圧でガラスが割れるかと思ってどきどきしちゃいました。しかも停電になるし。ま、大事にはならなかったけれど。

翌日もお休み。台風一過、ピーカンに晴れわたるってことはなく、ぐずぐずの天気の中をキャナルシティに買い物に。いつものように無印良品でコップを買ったりお菓子を買ったりする。

んで、帰ろうかと思っていると、運河沿いのステージでバンドがライブのリハをやっていた。キーボード、ベース、ドラムス、ギターの4ピースバンド。もろにアシッドジャズ寄りな、なかなか素敵な音。ということで聴いて帰ることに。

「Smith」という福岡のバンド。迂闊にもはじめて名前を聞いた。メンバーは全員20代だろうけれども、かなり上手い。ライブ慣れしている。
バンド時代のモンドグロッソを思い起こさせるクラブジャズ。要するにファンクやフュージョン、R&B、ラテンをほどよくブレンドしたサウンドなんだけど、こういう音はテクノとかハウスとは方法論が根本的に違っていて、曲がよく出来てないと演奏が空中分解してしまう。このバンドはジャズをよく研究している感じがして、不安定なところがまるでない。

ともちゃんも上手いと感嘆。あゆむさんもしっかり聴いてくれる。
それにしても「Smith」のドラムスの人、嬉しそうに叩いているんだよなあ。素敵だ。

ドラムスのひとが嬉しそう。  こういう歌うギターもときには良い。  Mioさんが歌う。

こういう音って、ぼくが学生の頃に流行っていた。
あの頃、日本にある音はどれもこれもユニークで面白かった。いまは・・・、愚痴は言うまい。

とにかくこんなバンドが福岡にあって、これからも活動を続けてもらうためには、30代とか40代の大人なリスナーがしっかりした耳を持って支持しなくてはいけないと思う。

そもそもクラブだって30代向けのイベントが少なすぎる。「年寄り=ディスコorユーロビート」なんて発想を、オーガナイザーはもうやめたほうがいい。
とりあえず聴いてください、「Smith」。ぼくはファンになりました。

Smith 公式HP

+ + +

余談。家に帰ると熱発。夜中に39度8分を記録してダウン。
もうなにがなんだか・・・
 
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2006年09月16日

Sky High

Sky High

秋ですねえ。秋空ってのはいいねえ、澄んでいて。
今夜は雨降りで台風も近づいているけれど。

最近、ジョン・ベルトランの旧譜『Ten Days of Blue』を聴きなおしている。この人、西海岸のデトロイト・フォロワーのひとりで、ラテンにも強い(お父さんがプエルトリカンじゃなかったっけ)。カール・クレイグの〈レトロアクティヴ〉からデビューしたキャリア十数年のツワモノDJ。寡作だけど。

『Ten Days of Blue』はアンビエント寄りな、静かめエレクトリックミュージックの傑作。amazonでは品切れ状態だけど、中古のレコ屋だったらそこそこ手に入るはず。1曲目がちょっとノイジーだけど、叙情的で透明な作風が秋空にぴったり。

新譜『Human Engine』がリリースされるらしい。これもまたかる〜くラテンフレイバーを効かせたアンビエント。以下のサイトで何曲か試聴もできる。買おうかなあ。

John Beltran(My Space.com)

『Ten Days of Blue』John BeltranTen Days of Blue
John Beltran

Peacefrog
2002-10-21
ASIN: B000007XGU
by G-Tools


『Human Engine』John BeltranHuman Engine
John Beltran

Milan
2006-09-26
ASIN: B000HRMDTM
by G-Tools

 
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2006年09月15日

「玉福」で焼肉

玉福で焼肉。

須玖の「玉福」で焼肉。
ここは安くてボリュームたっぷり。お酒を飲んでも3000円くらい。純粋に食事だけのつもりで行ったら、2000円で焼肉がお腹いっぱい食べれる。正直、お店は綺麗じゃないけどね。

お店には定連さん多数。たぶんお客さんの半分は定連さんっぽい。でも、おばちゃんは優しいし、子ども連れでもぜんぜんOK。
小さいガスコンロは、もうちょっと火力が欲しい気もするけど、ぼちぼち食べるにちょうど良いのかな。排煙があまり効いていないので、匂いがついてもいい服装で。

お肉はホルモンやレバー、ハツなど内臓系が美味しい。かなり分厚くスライスされているのでボリューム感がある。肉質が洗練されているわけではないけど、脂っこくないから、最後まで飽きずにがっつり食べられる。もちろんロースも美味しいですよ。

タレは甘めでトローリしててうまい。こういうタレ、珍しいね。ともちゃんと「水あめでも入っているんだろうか」と話してみるも、なにで出来ているのかよくわからなかった。

朝鮮漬のボリュームがすごかです。

この朝鮮漬がすごい。たぶんキュウリ2本分くらいのボリュームで、ビールに良くあう。見た目より辛くないし。たしか250円くらいだったと思う。持ち帰りもできる。
「もやし」というメニューもあって、豆もやしのナムル風あえもの。これも美味しい。

 玉福

 住所: 春日市須玖2−107
 電話番号: 092-582-2330
 営業時間: 17:00〜23:30
 定休日: 第1、3月曜日

 
ラベル:グルメ 福岡 焼肉
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ルワンダ

ルワンダの子どもたち

なぜルワンダであれほどのジェノサイドが起きたのか。
ひとくちにジェノサイドと言っても、スターリンによる「大粛清」、ナチスによるユダヤ人の「最終解決」、クメール・ルージュによる「カンボジア・ゼロ年」、それにユーゴ内戦やルワンダでは、その原因も経過も異なる。冷戦終結後、政治の手段としての「強制的難民化と流出・誘導」や「民族浄化」などが先鋭化し始めたが、いずれにせよ、ジェノサイドはその土壌、計画、実行、そしてジェノサイドの結果を分析しなくては理解が深まらない。

+ + +

ルワンダの場合、ザイール(現コンゴ民主共和国)、タンザニア、ウガンダ、ブルンジなどの周辺国の内政状況によって自国の状況も変化する。われわれには実感しにくいことだが、周辺国からの難民・ゲリラの流入、あるいは道路の封鎖などによってめまぐるしく情勢が変わる国が世界には多数ある。
結果、その変化する情勢に即応するためにも、これらの国々は強権的にならざるを得ない(しかもそれは反体制組織も継続的に存在させることになる)。この中央集権体制がジェノサイドの重要な土壌ともなった。

『ホテル・ルワンダ』のエントリーでも書いたけれども、ルワンダ国内にはフツとツチという大きな「民族」集団があった。国民の90%弱ほどがフツで、残りがツチである(その他、少数のトゥワがいる)。
ベルギー宗主の時代、ツチが支配層として優遇され高度な教育も受けることができた(第二次大戦前は、首長職と官職の9割をツチが占めていた)。ツチの優遇は欧米人の「ハム仮説」による。ツチは背が高いという外見的な特徴があり、北方(エチオピア周辺)から移住してきたとされた(ちなみにこの説は考古学的に証明されていない)。ツチ、フツ、トゥワの中で、ツチが外見において最も欧州人に似ている。したがって最も優秀なのだというのがハム仮説である。
この疑似科学に基づく民族区分の導入によって、フツは被支配層に追いやられた。ルワンダのジェノサイドは、民兵(インテラハムウェ)化したフツの貧困層が多くを実行したといわれる。

+ + +

1994年4月6日、ハビャリマナ大統領が暗殺され、それをきっかけにジェノサイドが始まるわけだが、その準備は以前からなされていた。
1990年にツチ主体のルワンダ愛国戦線(RPF)の侵攻が始まると、フツ至上主義者が「フツ・パワー」という集団を形成する。『ホテル・ルワンダ』には、派手で特徴的なシャツを着ている商人が出ているが、彼はフツ・パワーに所属している。
フツ・パワーは軍や政権中枢、政権与党「開発国民革命運動(MRND)」にも多く食い込んでいて、その指導者の多くはハビャリマナ大統領暗殺後の臨時政府のメンバーに指名された(暗殺事件はフツ至上主義者によるものではないかという説の根拠である)。

+ + +

RPFの侵攻が進むと、フツ・パワーの影響力も深まった。フツ・パワーは「ミルコリンヌ自由ラジオ(《千の丘》自由ラジオ)」や「ミルコリンヌ・テレビジョン」、フツ系新聞「カンデラ」などを傘下に置き、プロパガンダを行っていく。

とくに、フツ・パワーの大多数を占めたフツ貧困層が聴取したラジオの影響力は大きかった。ルワンダは、決して識字率が高いわけではなく、テレビすら持っていない人々も多かったから、ラジオは重要な扇動メディアとなった。とくに、地方へのプロパガンダの徹底にラジオの果たした影響は大きい。
(以前NHKのドキュメンタリーで当時のミルコリンヌ・ラジオの放送を聴いたが、言葉の意味はわからないが、なんとも言えぬ不快な声での放送だった。「ゴキブリをさがせ」という字幕が実に恐ろしかった。)

プロパガンダの要旨はこのようなものだ。

 1.フツならフツらしく行動せよ(ツチを殺せ)、行動できない者はフツではない(おまえもツチと同様殺されるだろう)。すなわち「アイデンティティーの絶対化」。
 2.ツチはフツの富や権力を盗もうとしている。すなわち「対立構図の絶対化」。
 3.したがってツチを殲滅しなくてはならない。すなわち「殺戮の正当化」。

その結果、饗場和彦によると、このようなジェノサイドが頻発することになった。

ルワンダのジェノサイドは量的に特筆されるが,殺害の質的な面でも衝撃が大きかった。ナタでずたずたに切られて殺されるので金を渡して銃で一思いに殺すように頼んだ,女性は強姦された後に殺された,幼児は岩にたたきつけられたり汚物槽に生きたまま落とされた,乳房や男性器を切り落とし部位ごとに整理して積み上げた,母親は助かりたかったら代わりに自分の子どもを殺すよう命じられた,妊娠後期の妻が夫の眼前で腹を割かれ,夫は「ほら,こいつを食え」と胎児を顔に押し付けられた―― といった行為が多発した。
この悲惨な状況下で、もっとも人道的に行動しなくてはならなかったはずのカトリック教会もジェノサイドに積極的に関与した。教会としてジェノサイドを正当化したわけではなかったが、大司教がMRNDの幹部であり教会組織そのものが国家体制に組み込まれ、権力中枢に近かった。教会に避難した人々を、無差別に機関銃や手榴弾で殺したのを黙認したり、積極的に容認した聖職者もいたとされる。フツのキリスト教徒の多くはジェノサイドに加わることが、教会の意思に沿うことと考えていたのだ。

+ + +

1994年7月、RPFがキガリを占領し政権を奪取すると、今度はPRFによるフツへの報復虐殺が始まってしまう。ここまで国際社会は、人道支援も含めて、ほとんどなんの対応も取れなかったが、ようやくUNHCRも活動を開始する。その最中、報復虐殺が始まったのだ。緒方貞子の回想を読むとその陰惨さがよくわかる。

ブタレ州、キブンゴ州やキガリ州の一部などの南部および南東部の地方では、状況はいっそう熾烈であった。(ロバート・)ガーソニーの調査チームは春から初夏にかけて、旧政府軍と民兵集団が追放された直後に起きた、新たな殺戮の驚異的な証拠を明らかにした。ブタレ州とキブンゴ州にはさびれた広大な地区があり、そこには最近もしくは以前に帰国したツチ系帰還民一万人が、槍と弓矢で武装していた。RPFの犠牲にならないように逃れようとする者がいるほかは、敵対勢力もないこの地区では、同様なRPFの殺戮行為が報告されていた。老若男女を問わず、子供や高齢者や病人も含む、大規模な無差別殺戮が行われているという報告がしきりに寄せられていた。とくに集会を装った大量殺戮は手当たりしだいで残虐を極めた。安全や食料配布の情報提供といった名目で、地元住民を家族ぐるみで集会に呼び出し、住民が集まったとたん、銃を乱射して皆殺しにするケースや、建物に閉じ込めて鍵をかけてから手榴弾を投げ込むといったことが横行していた。このほかにもRPFは家々を次から次へと襲い、逃げ隠れる住民を殺害してまわり、多数の遺体を処分した。ガーソニーのチームは、四月下旬と五月から七月にかけて毎月五〇〇〇人以上、ことによると一万人が殺されたのではないかと推定した。
UNHCRと緒方貞子はこの状況を公表することで苦境に立たされた。当然、ルワンダ新政府から非難され、PKO展開していた国連ルワンダ支援団(UNAMIR)からは虐殺の事実を明らかにできなかったことで面子をつぶされたと反発され、事務総長からは政治的解決を遅らせるつもりかと諭される事態となった。難民帰還も一時停止した。緒方貞子はこう回想している。

この一件からわれわれが学んだのはいささか苦い教訓であった。私は全力を尽くして慎重に協議したつもりであったが、国連のさまざまな部署や関係国政府から全面的な支持をとりつけるのがいかに難しいかを痛感した。
+ + +

1994年以降の大湖地域の混乱はルワンダを中心とした。隣国ブルンジもフツ/ツチの対立を軸に政情不安に陥ったし、ザイールはルワンダ難民の受け入れをきっかけに内戦を起こし、1997年にモブツ政権が倒れてしまう。
ルワンダのジェノサイドをきっかけに、大湖地域では多数の難民が、政治や外交の道具にされ、伝染病やゲリラの攻撃にさらされることになった。この経緯についても、いずれまとめたい。

『紛争と難民 緒方貞子の回想』緒方貞子紛争と難民 緒方貞子の回想
緒方貞子

単行本: 459ページ
集英社
2006-03
ASIN: 4087813290
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2006年09月14日

パメラ・D. シュルツ 『9人の児童性虐待者』

雨に濡れた鍵

個人的レベルにおいては、被害者・加害者両方のセルフ・ナラティヴを解釈することが、児童性虐待が自己イメージや自己表現に与える影響を理解する手段と考えられる。ただし、これらのナラティヴは、互いに無関係に存在してはならない。なぜなら、被害者側と加害者側、その両方のナラティヴが、事件の現実を構成し、反映しているからだ。両者のナラティヴに進んで耳を傾け、身を入れて聞きとれば、児童性虐待についての新しい文化的理解が構築できるだろう。こうしたナラティヴは、児童性虐待が社会の中でどのように機能しているかについての情報源となる。なぜなら、性、性的傾向、性習慣が権力の手段となる方法を伝えてくれるからである。性虐待のシステムがどのように自己永続的であるかを認識すれば、うわべばかりの外部的な対抗手段から目をそらし、本当に着目すべきところに注意を集中させられるだろう。着目すべきは、被害者であり、かつて被害者であった大人であり、彼らが黙って虐待のサイクルをくり返すやり方なのだ。
+ + +

著者のパメラ・D・シュルツ自身も児童性虐待の被害者である。

性暴力は「マクロな政治」の手段として使われることも多いし、家庭内の「ミクロな政治」の手段として使われることも多い。ゆえに、それらが端的に「暴力」として露見することは少ない(「わたしは彼女/彼を愛していたのだ」云々)。
だから、これは当たり前のことだが、性暴力を抑止するにはそれが社会の中でどのように機能しているか、あるいはそれらがどのように「権力の手段」と化するかを分析する必要がある。被害者のナラティヴと同時に加害者のナラティヴも、常に分析の対象としなくてはならない。

日本ではこういう基礎的な研究がまだまだ少ない。「イエ制度」との関わりもあるだろう。研究の進展を望む。

『9人の児童性虐待者』パメラ・D. シュルツ9人の児童性虐待者
パメラ・D. シュルツ Pamela D. Schultz
颯田あきら(訳)

単行本: 441ページ
牧野出版
2006-08
ASIN: 4895000923
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ラベル:虐待 性暴力 読書
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舞城王太郎 『好き好き大好き超愛してる。』


雨の日の景色

・・・「ゲラゲラ笑いながら小説書いたとか言って適当に仕事しすぎなんじゃん?もっとまじめにやったら?」「は?あのなあ。おめえ分かってねーようだから言ってやるけど、真面目な顔してりゃ真面目なんじゃねーんだぞ」「宇宙人とか魔法とかそんなことばっかり書いてて、それが真面目とは言えないだろ」「何言ってんだ知りもしないこと中途半端な想像だけで判断しやがってバカ。そういう宇宙人とか魔法とかを本気で信じるのと一緒にするなよ。そういう、宇宙人とか魔法とかってのは、比喩みたいなもんなんだよ。宇宙人とか魔法とか、そういうもんが表す何かが重要なんだよ」「宇宙人とか魔法とか、そんな子供騙しくせーもんがいったい何表すんだって」「子供臭い何かを表すんだよ」「・・・?」「ないもんをないとして諦める前の、ないけどあったらいいよな、とか、あったら困るよな、とかそういうことを思える気持ちとか、そういうふうに思う奴がいる世界を俺は小説ん中に持ち込んでんだよ。って言うのは、まあ例えばだけど」・・・
+ + +

これが「ライトノベルズ」って奴か? マジ? ま、どうでもいいけど。

さすが斎藤環先生が推薦するだけある。
舞城王太郎、すさまじい筆力だ。(これまで)文学に必要だと思われていた「構想力」ってもんを徹底的に無視して、ただ文体だけで文学している。こんなもんを10代が読んでいるんだとしたら、学校の先生たちは何を教えたらいいというのか。

文体は己の中にしかない。自閉した世界で、子どもたちは何を見つけるのか。

『好き好き大好き超愛してる。』舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。
舞城王太郎

単行本: 274ページ
講談社
2004-08-07
ASIN: 4062125684
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2006年09月13日

Bruno Schulz

Bruno Schulz『Scena masochistyczna』, 1926年
Bruno Schulz:Scena masochistyczna, 1926年

Bruno Schulz『Homme agenouille devant une jeune fille assise sur un divan, vers』、1933年
Bruno Schulz:Homme agenouille devant une jeune fille assise sur un divan, vers, 1933年

Bruno Schulz『The secular tale (I)』、年代不詳
Bruno Schulz:The secular tale (I)、年代不詳

Bruno Schulz『Exlibris Stanislawa Weingartena』、1919年
Bruno Schulz:Exlibris Stanislawa Weingartena, 1919年

Bruno Schulz『Autoportrait in front of an easel』、1920年?
Bruno Schulz:Autoportrait in front of an easel, 1920年?

ブルーノ・シュルツ(Bruno Schulz, 1892年 - 1942年)の作品を見たのは、10年位前のことだ。20世紀初頭から戦前にかけてのダダイストや前衛芸術家たちの素描を集めたマニアックな展覧会だった。
アルフレッド・ジャリやアンドレ・マッソンの素描、トリスタン・ツァラの詩画集にまじって、シュルツの蔵書票が展示されていた。蔵書票、たった1作品の展示だったけれども、その不思議な雰囲気をよく記憶している。

シュルツの作品は第二次大戦でその多くの作品が失われたが、残された素描の、この奇妙なエロティシズムはどうだろう。矮小化された男どもと神々しく踏みしだく女性。
シュルツは作家でもあったが、小説や散文詩にはこんなマゾヒスティックな作品を残していない。

Bruno Schulz website
 
posted by Dr.DubWise at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | imago mundi | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

そして何事もなかったように夕食を続ける。

Hotel Rwanda

『ホテル・ルワンダ』を観る。
この映画はアメリカでの評価こそ高かったが、日本では配給会社が決まらなかった。ルワンダという「世界の涯て」に、日本の映画関係者は興味がなかったのだろう。

ルワンダでは1994年4月から、たった100日で80万人が殺され、その後の数年の大湖地域紛争でさらに20万もの人命が失われた。総計100万人の死者が生まれた、おそらく冷戦終結後最大のジェノサイドが行われた土地だ。
それを知っていて関心を持ち続けている日本人が、いまどれほどいるんだろう。

Hotel Rwanda

このジェノサイドは、ルワンダを構成するフツとツチの民族抗争が原因とされている。
実はフツ/ツチの区分は、第一次大戦後の植民地時代、宗主国であったベルギーの役人が、人体計測学や頭蓋計測学、それに「ハム仮説」(ここでは深く書かない)のような「疑似科学」に基づいて、恣意的に決めたものに過ぎないといわれる。

ベルギー人は「ツチとされたルワンダ人」を優遇し支配層にすえた。「フツとされたルワンダ人」は、多数派ではあったが支配層に対抗できなかった。(もちろん、この人々が「ルワンダ人」というナショナリティを獲得したのは第二次大戦前後であることを忘れてはいけない。)
そもそも「フツ/ツチ」なるものは存在しなかったのに、いまそれがぬぐいがたく「ある」。だからフツもツチも、互いを絶滅させようとしたのだ。

Hotel Rwanda

1994年4月6日、ルワンダとブルンジの両大統領が乗った飛行機が撃墜された。そのわずか1時間後、「フツはゴキブリ(ツチのこと)を容赦なく殺せ」というラジオ放送の呼びかけをきっかけに、首都キガリから虐殺が始まる。

大統領暗殺を誰が実行したか、いまでもわかっていない(当初は、ツチ系反政府組織「ルワンダ愛国戦線(RPF)」によるものとされた)が、少なくともこの虐殺は周到に用意されたものだった。民兵への鉈や銃の供与は数週間前には始まっていたと見られる。
この映画でも、商人が大量に鉈を中国から輸入している様子が描かれている。「1本10セントで仕入れて50セントで売るんだ」。

4月末には、今度はフツがタンザニアへ難民として流出する事態となる。RPFが進撃を開始したからだ。
この間、国際社会はほとんどルワンダに関心を示さなかった。あるアメリカ政府高官は、治安維持軍派遣について聞かれて「その価値がない」と答えた。メディアが虐殺の映像を配信しているにも関わらず、だ。劇中、ルワンダで取材するジャーナリストが主人公のホテル支配人ポールにこう漏らす。「外国人はニュースでこの虐殺の映像を見ても”怖いね”というだけだ。そして何事もなかったように夕食を続ける。」

Hotel Rwanda

フランスだけは、4月から6月にかけてルワンダ支配層やエリートの脱出に協力する(「トルコ石作戦」など)。フランスは何年にもわたりルワンダ政府軍への武器供与や訓練に関与し続けていたからだ。
フランス人アフリカ研究者のジェラール・プルニエは「ルワンダにおけるフランスの影響力維持が目的」としている。同時に、当時先鋭化していたミッテランとバラデュールの対立の影響もあるだろう。とにかく、ジェノサイドの阻止にフランスが動いたわけではなかった。

ルワンダは、世界から見捨てられていた。

Hotel Rwanda

最初は家族や隣人を守るため、その後はルワンダ人を救うため、ポールはホテルを最大限利用した。ひたすら彼は、賄賂を贈り、はったりを言い、電話し、交渉し、活路を見出そうとする。彼は、一見政治とは無関係に、しかし政治的に振舞う。

もちろんこの映画はエンターテイメントで(映画の手法としてはいかにもハリウッド的だ。そもそも全編英語でシナリオが書かれているのだから)、この映画「だけ」で史実のすべてを知ったような気にならないで欲しいのだ。『ホテル・ルワンダ』は1994年4月からの、たった100日ほどのことに過ぎない。実際には、ルワンダと大湖周辺の人々はその後数年にわたって、虐殺と紛争に苦しみ続けることになる。

それでも『ホテル・ルワンダ』はいい映画だ。少しでも、世界の涯てを見る努力をしなければ、この国では、なにも見えなくなってしまうからだ。

Hotel Rwanda

 ホテル・ルワンダ (2004/伊=英=南アフリカ)
 Hotel Rwanda

製作総指揮 マーティン・カッツ / ハル・サドフ
製作 テリー・ジョージ / A・キットマン・ホー
監督 テリー・ジョージ
脚本 テリー・ジョージ / キアー・ピアソン
撮影 ヴィンセント・G・コックス / ロベール・フレス
美術 ジョニー・ブリード / トニー・バロウ
音楽 ルパート・グレッグソン・ウィリアムス / アンドレア・グエッラ
   / マーティン・ラッセル
衣装 ルイ・フィリップ
出演 ドン・チードル / ソフィー・オコネドー / ホアキン・フェニックス
   / ニック・ノルティ / モツシ・マガノ / デズモンド・デューブ
   / レレティ・クマロ / カーラ・シーモア
『ホテル・ルワンダ(プレミアム・エディション)』テリー・ジョージホテル・ルワンダ(プレミアム・エディション)
テリー・ジョージ

Color, Widescreen, Dolby, DTS Stereo
ジェネオン・エンタテインメント
2006-08-25
ASIN: B000FOTK6Q
by G-Tools
 
posted by Dr.DubWise at 15:19| Comment(0) | TrackBack(1) | lumen opacatum | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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