2006年11月09日

鷲田清一 『感覚の幽い風景』

大阿蘇の夕暮れ

いまここにある意識がいまここにはないものに向かって意識を張りめぐらす、そういう関係のなかで震えは起こる。たとえばなにか得体のしれないことが起こる、なにか壊滅的なことが起こるという予感のなかで、不安や恐怖よりも先にからだのほうが自体を察知したかのように震えだす。感極まったところでひとはがくがく痙攣するが、その寸前、さざ波のように押し寄せるその予感のなかでもからだは震える。快感、激痛、大泣き・大笑いの寸前に。
わたしたちの感覚には、なにかの予兆に、からだが先に反応してしまうところがある。感覚は、その意味で、現在に閉じこもってはいない。いまここに与えられているもの(データ、つまり与件)に感覚が閉じ込められていて、それを、未来や過去、あるいはいまここにはない物、つまりは不在のものへと関係づけるのが意識のはたらき(想像力や記憶)だとする考え方、それは感覚のあり方にそぐわない。不在への関係は感覚そのものに含まれている。いいかえると、感覚という身体的な出来事そのものがいまここにないものとの関係、つまりは記憶や想像といった契機を孕んでいるのだ。
+ + +

鷲田清一の、エッセイとも哲学書ともいえる本を読む。
すばらしい美文。ため息をつきながらあっというまに読んでしまった。再読、再々読すること。

鷲田清一『感覚の幽い風景』感覚の幽い風景
鷲田清一

単行本: 211ページ サイズ (cm): 19 x 13
紀伊國屋書店
2006-06
ASIN: 431401007X
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posted by Dr.DubWise at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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