2006年11月21日

ダナ・ハラウェイ 『サイボーグ・フェミニズム 増補版』

Ghost in the Shell
Ghost in the Shell

草薙素子(=少佐)の記憶はサイボーグ以前、とくに「家族」について、何故隠されているのだろうか。あるいはバトーもサイトウもバズもボーマもイシカワも。完全義体化したメンバーは特に、だ。義体化が十分ではない荒巻やトグサのエピソードの中には、家族をめぐる物語があるけれども。

「少佐の過去」がテーマのひとつだった『Stand Alone Complex 2nd Gig』でも、過去に関係する者として登場するのは、義体適応に苦労した「同志」であって、父親や母親あるいは兄弟姉妹では、ない。
それは何故か?

+ + +

ダナ・ハラウェイの『サイボーグ・フェミニズム』を読んでいる。いまさら? そんなことはない。「サイボーグ宣言」は一読すると、文体の破格なスピードに引きずられて「読み飛ばし」てしまいがちだけれども、ゆっくり味読するとヤバイ。とりあえず引用。

サイボーグ――それはサイバネティック・オーガニズムの略であり、機械と生物のハイブリッドだ。架空の生物であるとともに、現実社会の産物でもある。だがそもそも現実社会そのものが、リアルな社会関係であるとともに、何にも増して「政治的工作物」であり世界変革に必要なフィクションであろう。国際規模で拡がった女性解放運動は、その意味で、「女性の経験」を重要な集団事象として暴露ないし発見しつつも、まさしくそれを工作してきたとみられる。「女性の経験」ほど、ファクトでもありフィクションでもある装置として政治的に意義深いものもあるまい。解放のためには、抑圧や可能性に関する意識をどう解釈するか、抑圧や可能性をどう想像力たくましく理解するかが条件となる。このとき、サイボーグという架空にして現実のイメージが浮上してくる。そのような性格を持つサイボーグこそが、20世紀後半における女性経験の意義を変容させるからである。これは、生死を賭けた闘争だ。けれども同時に、このような社会的現実としてのリアリティといわゆるサイエンス・フィクションとのあいだが五十歩百歩であるのも、忘れてはならない。

フランケンシュタインの怪物が期待したようには、サイボーグは自らの父親の手で復楽園をもたらしてくれると思っていない。すなわち、自分の創造者がさらに異性の配偶者を創造することで、ひとつの世界を――都市や宇宙を――完成させてくれることなど、期待しない。サイボーグは、生物家族をモデルに社会を築くことなど夢見ないし、エディプス神話さえ持ち合わせない。サイボーグは、エデンの園を認識することもない。サイボーグは泥から造られたのでもなければ、塵に還ろうと夢見ることもできはしないからだ。現代世界は「悪」を仮想したい狂躁にかられるあまり、すべてを核の灰燼に帰してしまうような終末を迎えるかもしれない。けれども、だからこそわたしは期待するのである、サイボーグならば、そのような黙示的プロセス自体を破壊できるのではないか、と。
サイボーグが敬虔でないのは、彼らには宇宙を回想=再構築することなどないからだ。サイボーグたちは全体論に対しては警戒するが、関係性は熱望する。彼らは統一戦線の政略については自然な理解を示すが、主導的な党派を必要とはしない。サイボーグに関する問題点は、彼らが国家社会主義をはじめ軍国制度や家父長制資本主義の私生児であるということだ。しかし、私生児たちは、しばしばあきれるほどに、自分たちの親たちに対して不義理を働く。彼らにとって、父親など何ら重要な存在ではないのである。
ダナ・ハラウェイ Donna Haraway『サイボーグ・フェミニズム 増補版』サイボーグ・フェミニズム 増補版
ダナ・ハラウェイ Donna Haraway ほか
巽孝之・小谷真理(編訳)

単行本: 349ページ サイズ (cm): 19 x 13
水声社
2001-08
ASIN: 4891764465
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posted by Dr.DubWise at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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