2007年05月05日

ホルヘ・ルイス・ボルヘス『論議』

Jorge Luis Borges(1899 - 1986)
Jorge Luis Borges(1899 - 1986)

ぼくがボルヘスに最初に触れたのはいつだったか。国書刊行会の「バベルの図書館」シリーズを読んでいた頃(つまり高校生の頃)は、当然ボルヘスの名前は知っていたはずだ。だけど、澁澤龍彦経由で知ったのであれば中学生の頃、ということになる。
ボルヘスには「バベルの図書館」という有名な作品がある。22文字のアルファベットとスペース、コンマ、ピリオドの25文字の総組合せであらわされた〈あらゆる書物〉が収納された無限の図書館(=宇宙)。「司書」にとっての楽園であり地獄でもあるそこのイメージは、高校時代のぼくらに強烈な印象を焼きつけた。美術部にいた友人Mは、この作品にインスパイアされたメゾチントを何枚も連作したくらいだ。

たしかにボルヘスはアルゼンチン国立図書館長の要職にありながら盲目であり、それを「ネクロノミコン」を閲覧したからだというような神話的な逸話にことかかなかった。ぼく自身、失明する寸前に、書物に覆いかぶさるように目を寄せて読書するボルヘスの姿を、写真で見たような記憶がある(これは、なにかの本で読んだエピソードがぼくの心のなかに沈殿したものなのかもしれないし、そもそもそんなものを見たり読んだりしたことなんてなくただの夢想であるかもしれない)。

しかし牛島信明が「あとがき」に書いているように、ボルヘスのユーモアもまた重要であろう。「アキレスと亀」についての執拗な思考も、「バベルの図書館」の構想もまた。

「バベルの図書館」と並んでぼくの好きなこんなイメージも、ボルヘスのユーモレスクではあるまいか。

……あの王国では、地図学は完璧の極限に達していて、一つの州の地図はある都市の、また王国の地図はある州の広さを占めていた。時代をへるにつれて、それらの大地図も人びとを満足させることができなくなり、地理院は一枚の王国の地図を作製したが、それは結局、王国に等しい広さを持ち、寸分違わぬものだった。地図学に熱心な者は別であるが後代の人びとは、この広大な地図を無用の長物と判断して、無慈悲にも、火輪と厳寒の手にゆだねてしまった。西方の砂漠には、ずたずたに裂けた地図の残骸が今も残っているが、そこに住むものは獣と乞食、国じゅうを探っても在るのは地図学の遺物だけだという。(「学問の厳密さについて」)
創作だけでなくエッセーにもユーモアは満ちている。たとえば『論議』にはこんな一節がある。

ある過ちが無限の存在たる神に背くものであるがゆえに無限であると論じるのは、神が聖なる存在であるがゆえに過ちも神聖であると主張するようなものであり、虎に対して加えられた侮辱は縞模様であるに違いないと言い張るようなものだ。(「地獄の継続期間」)
あるいはアメリカについて、1930年代はじめにこう書いている。

かつてあるところに森がありましたが、それがあまりにも広大にして無辺だったので、誰ひとり、それが樹木からなっていることに気づきませんでした。さらに、二つの大洋のあいだにある国がありましたが、そこの男たちはあまりにも強大でしたので、誰ひとりとして、それが人間の住む国だとは思いあたりませんでした。普通の人間の条件を備えた人間の国であるとは。(「もうひとりのホイットマン」)
またボルヘスは意外にも映画も好んだ。失明する前のことだからその映画論も戦前の、しかも無声映画、トーキー初期映画に限られている。トーキーによって発明された「吹き替え」という技術について、こう悪態をついていて楽しい。

そして今ハリウッドは、その虚しい奇形学博物館をさらに豊かにした。吹き替えと呼ばれる質の悪い装置によって、輝くばかりのグレタ・ガルボの顔と田舎娘アルドンサ・ロレンソの声を結びつけ、われわれに奇怪なものを見せつけようというのである、このような悲しむべき驚異を前にして、このような手のこんだ視覚音響的異形を前にして、どうして感嘆の声をあげずにおられようか。(「ノート」)
ちなみにアルドンサ・ロレンソは、ボルヘスがこよなく愛した『ドン・キホーテ』の登場人物。ドン・キホーテが思い姫に見立てた百姓娘アルドンサのことだ。

ボルヘスは厳しい批評家であった。チャップリンの『街の灯』さえもボルヘスにかかると、「擬古主義やアナクロニズムの不幸な凝固」、「まとまりのない筋立ては、二十年前の散漫なつなぎ合わせの手法をそのまま受け継いでいる」となる。
絶賛しているのはフョードル・オツェプの監督した『カラマゾフの兄弟』。原作から「伸びやかに解放され」、「カメラワークの点からしても秀逸」という。オツェプは『生ける屍』というフィルムがシネフィルに少し知られているくらいで、同時期のエイゼンシュタインやボリス・バルネットの陰に隠れてほとんど忘れ去られているソ連映画作家である。この作品についてもどんな映画かよくわからない。撮影はフリーデル・ベーン・グルントがクレジットされている。帝政ドイツ時代の中堅キャメラマンである。ボルヘスはこの映画に、ソ連特有の政治的窮屈さがない点を指摘しているけれども、たしかにキャメラだけでなく俳優らもロシア人ではないようで、そこにこの映画の特徴があるようだ(余談だけれども、1930年代のソ連映画界とドイツとの交流はよく知りたいところだ)。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス、牛島信明(訳)『論議』論議

単行本: 307ページ サイズ: 19 x 13.2 x 2.6 cm
ホルヘ・ルイス ボルヘス Jorge Luis Borges
牛島信明(訳)
国書刊行会
2001-01
ISBN-13: 978-4336042910
by G-Tools
posted by Dr.DubWise at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | cahier | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。