2006年08月16日

風過微聞松葉香

『宋詩概説』吉川幸次郎

『宋詩概説』を読んでいると、南宋末の小詩人、徐キ(じょき、「キ」はタマヘンに幾)の項にこんな詩を見つける。

無數山蝉噪夕陽
高峰影裏坐陰涼
石邊偶看清泉滴
風過微聞松葉香

無数の山の蝉 夕陽に噪(さわ)ぐ
高き峰の影の裏 陰の涼しきに坐す
石の辺(ほとり)に偶(たまた)ま看る清き泉の滴るを
風過ぎて 微かに聞く 松の葉の香り
芭蕉は五山文学にも影響を受けた。五山は蘇軾、黄庭堅らの詩集を多数覆刻した。徐キの詩集が五山版として覆刻されたかどうかはしらないが、芭蕉にはこんな句もある。

松杉をほめてや風のかをる音
これは定家の「頼むかなその名も知らぬ深山木に知る人得たる松と杉とを」を引いたものだが、感覚的には徐キの詩にも近い。

松風の落葉か水の音涼し
こちらの句は『蕉翁句集』にある。
しかし、ここ阿蘇の風景には山頭火のほうがよく似合うか。

松かぜ松かげ寝ころんで
『宋詩概説』吉川幸次郎宋詩概説
吉川幸次郎

体裁=文庫: 332ページ
岩波文庫(岩波書店)
2006-02
ASIN: 4003315235
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『山頭火―草木塔』種田山頭火山頭火―草木塔
種田山頭火

体裁=単行本: 306ページ
日本図書センター
2000-11
ASIN: 4820565516
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2006年08月13日

映画と駅と

パリ東駅
パリ東駅

映画の中における駅の役割。
リュミエール兄弟がラ・シオタ駅の様子を撮影して以来、駅は映画の中で特殊な役割を担ってきた。物語の契機としての駅、まさに物語の「終点」としての駅、重要な転換点としてあるいは通過点としての駅。
映画の中のトポスとして、駅と空港に役割や質の差はあるんだろうか。

そんなことを考えながら『映画の中で出逢う「駅」』を読んでも、正直期待はずれかもしれない。この本は映画批評の本ではない。ただひたすら、著者の好きな映画に出てくる駅を列挙し書き連ねていくスタイル。愛を感じるねえ。映画オタクというよりも、鉄道オタクの本? とか思っていたら著者の臼井幸彦氏はJR北海道の常務取締役でした。納得。

パリ北駅
パリ北駅

『アメリ』についてこんな記述。なるほど、これは気づかなかった。

特に『アメリ』は北駅のトレイン・シェッドの軽快な美しさを見事に伝えている。ユーロスター開業時に新設された、駅舎側の二階デッキからの眺めはまさに圧巻である。モンマルトルのカフェで働いて週末にはいつもこの北駅から列車で戻るアメリが羨ましくなる。
『アメリ』では北駅だけではなく、東駅と地下鉄アベス駅もアメリとニノの恋の舞台として頻繁に登場する。最初の出会いは地下鉄アベス駅、そして二度目に出会うのがこの北駅。さらに二人の恋がコミカルに展開していくのが東駅だ。
ところが『アメリ』では、この北駅の駅舎外観を東駅として使っている。イオニア式オーダーの上部にある駅名表示サイン「NORD」もわざわざ「EST」に書き換えている。さらに北駅の内部も東駅として使い、空間を構成する鉄骨リブを消去し、石造り風に修整するなど、CGが縦横に駆使されている。しかし一方で、東駅の外観を飾る美しい薔薇窓の内側はそのまま東駅の内部として使っている。
結局、映画の中では恋の舞台は東駅で、東駅の映像には、北駅と東駅を合成していることになる。こうして監督ジュネはアメリとニノの恋の舞台にふさわしい駅を新たにデザインしているのだろう。
『映画の中で出逢う「駅」』臼井幸彦映画の中で出逢う「駅」
臼井幸彦

体裁=新書: 236ページ
集英社
2006-05
ASIN: 4087203417
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アベス駅
アベス駅
 
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2006年08月02日

難民問題と政治

ルワンダの緒方貞子

緒方貞子の国連難民高等弁務官時代の回想録を読んでいる。緒方貞子の苦闘が生々しい。
20世紀は難民の世紀だったが、21世紀も引き続き難民は生まれ続けている。彼女は、UNHCRが積極的に「政治」を活用するための道を開いた。国連難民高等弁務官時代の緒方貞子は政治家だった。

単なる対処療法では難民問題は決して解決しないのだ。「恒久的」とはいわないまでも、少なくとも数十年の(あるいは十数年でもいい。たかだか二世代か一世代の間の)平和を模索しなくてはならない。それが「現実的な考え」というものだろう。その「現実」を実現するには、政治の力が必要であある。

 「人道問題に人道的解決なし」という私の発言がよく引用されるが、私が言わんとしたのは、難民問題は本質的には政治問題であり、したがって政治によって対処されなければならないということである。人道行動は政治行動をとるための余地をつくり出すことはできるかもしれないが、政治行動にとって代わることは決してできない。しかし、1990年代の難民の大部分は民族浄化、ジェノサイド(民族大虐殺)、難民キャンプや居住地の軍事化に巻き込まれた人々であり、これらの難民問題の解決には国際社会や地域の主要国、あるいは国連安全保障理事会の断固たる介入が必要であった。しかし、介入する国々は紛争当事者になることは恐れないまでも、進んで介入する意図は少なかったので、難民危機を理由に全面的な軍事介入を行うことはなかった。私は関係各国や国連の政治機関が人道危機の解決に本腰を入れるよう主張してきた。アフリカ大湖地域の痛ましい教訓を受けて、UNHCRは難民が居留する地区で発生するさまざまな危険の種類と危険度の厳しさに対応する手段の一つとして、段階的なオプション案を提示した。
 難民の流出は大規模になったうえに、相当数の国内避難民と戦争犠牲者が難民のなかに紛れ込むようになったので、UNHCRの活動はより積極的で包括的な手法をとり入れるようになった。また、大規模な救援事業を調整するようにもなった。救援物資の提供は人々を保護する重要な手段であり、援助を必要としているすべての犠牲者に人道主義の基本原則にのっとった中立で公平な立場から行われなければならない。UNHCRはバルカン地域の紛争の経験を生かして、大規模な残虐行為があったあとに帰還する難民を支援するために、より良い手段を開発することに力を入れた。また、通常は緊急事態対応活動後に生じる支援過程の空白を埋めるために、開発援助機関により早く活動を進めるよう協力を求めた。さらに、帰還した人々の間に共生の意識を育むことによって地域社会を再建する道も探った。
 人道援助は一定の期間、戦争犠牲者の困窮を改善し命をつなぐ手助けをしてきたが、それだけでは問題解決にならなかった。時として、人道援助活動は紛争を長期化させているとして非難されたが、だからといって和平も到来せず、政治解決も行われないうちに何万人もの人々に対する援助を打ち切るというのは現実的な考えではない。「人道問題に人道的解決なし」という発言は、私のいらだちの発露であり、何もせず手をこまねいて傍観せよという意図では毛頭なかったのである。
『紛争と難民 緒方貞子の回想』緒方貞子紛争と難民 緒方貞子の回想
緒方貞子

体裁=単行本: 459ページ
集英社
2006-03
ASIN: 4087813290
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2006年06月26日

野生の思考

Claude Gustave Lévi-Strauss (1908 - ) Claude Gustave Lévi-Strauss (1908 - )

どういうわけだかレヴィ=ストロース関連の本が最近たくさん出版されてるし、中沢新一もレヴィ=ストロースへの忠誠を改めて表明している。

なぜか? なぜいまか?
構造主義というのは、普遍的な「ヒトという生物」の姿を明らかにするからだ。目には見えない人間の「根」を、オカルトに頼らずに明示する技術であるからだ。
文明の差、文化の差、言語の差。もちろんそれらは在るにしても、ヒトの根は普遍であることをレヴィ=ストロースは示し、闘った。いまも依然必要な闘争である。

いやあ、『野生の思考』はおもしろい。たとえばこんなテキストを読むとたまらなくなる。

ここにおいても私は、「社会生活、人間と自然の関係は、頭の中に展開される概念のゲームの結果ではないにしても、その投影である」などと言うつもりはない。「われわれが頭の中で考えることは動物界や植物界に似た一つの完全な体系をなしており、またいわば花の咲き揃う季節のようなものである。その図鑑を作るには天才でなければならないが、そのような人間は世間では狂人扱いされるだろう」とバルザックは書いている。しかしおそらく、天才というよりほんとうに狂人でなければ、とてもそのようなことは企てないだろう。概念の図式が慣習的行動を支配し規定している、と私が言うのは、時間的空間的に限定され、かつ生活様式や文明の形態について弁別的な非連続的事実という形で民族学者の研究対象にされている限り、慣習的行動は「実践」とはいっしょにはできないからである。「実践」とは――少なくともこの点では私とサルトルの見解は一致するが――人間科学にとって根本的な全体なのである。マルクシズムは――マルクス自身はそうでなかったとしても――慣習的行動が直接的に「実践」から出てくると考えることがあまりにも多すぎた。異論の余地のない下部構造の優位に異議を唱えるのではないけれども、私は「実践」と慣習的行動の間にはつねに媒介項があると信じている。その媒介項が概念の図式なのであって、その操作によって、互に独立しては存在しえない物質と形態が、構造として、すなわち経験的でかつ解明可能な存在として実現されるのである。私は、マルクスがほんの少し素描をしただけでこの上部構造の理論の確立に貢献したいと思っている。本来の意味での下部構造の研究を発展させるのは、民勢統計学、工学、歴史地理学、民族誌の助けを借りて歴史学がやっていただきたい。下部構造そのものは私の主要な研究対象ではない。民族学はまず第一に心理の研究なのであるから。
歴史学がレヴィ=ストロースの呼びかけにどのように応えたか。まだその成果は充分ではない。

野生の思考 / クロード・レヴィ・ストロース 大橋保夫・訳野生の思考
クロード・レヴィ・ストロース 大橋保夫・訳

体裁=単行本: 396 p ; サイズ(cm): 22
みすず書房
1976-01
ISBN: 4622019728
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2006年06月25日

IN THE FLIGHT

フィッシュマンズ

眠れない夜にフィッシュマンズを聴いているとやっぱりグッとくる。
深いダブ。外は雨。

  IN THE FLIGHT
  作詞・作曲:佐藤伸治

 四つ階段を駆け上がって ドアを開けて覗き込ば
 その眠たそうな空気が 好きだ
 調子がよければいいね そんな気配を感じたなら
 陽気にお邪魔も できるさ

 ドアの外で思ったんだ あと十年経ったら
 何でもできそうな 気がするって
 でもやっぱりそんなの嘘さ
 やっぱり何もできないよ
 僕はいつまでも 何もできないだろう

 空に寄りかかって 二人のすべてを頼って
 どこまでも飛んでゆく
 いつでも僕らを よろしく頼むよ

 IN THE FLIGHT IN THE FLIGHT...


宇宙 日本 世田谷 / フィッシュマンズ宇宙 日本 世田谷
フィッシュマンズ

ポリドール
1997-07-24
ASIN: B00005FJU8
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2006年06月20日

ただそれを物狂おしいままに好くために


西住よ。私はようやく紀ノ川のほとりで眺めた浮島のようなこの世を、迷いなく、ひしと心に抱くことができる。この世はもともとただそれだけのものにすぎぬ。味もなければ、芸もないのだ。それが浮島と見え、虚空のはかなさに包まれると見えたとき、好きなものに満ちていることが解るのだ。運命の興亡も、季節のめぐりも、花鳥風月の現われも、何か激しく心を物狂おしくする好きものなのだ。私は、ただそれを物狂おしいままに好くために、こうして草庵のなかに坐しているのである。
+ + +

白洲正子の愛した西行。
西行について書いてみたいなあと思う。語るべきことはたくさんある。

辻邦生の『西行花伝』は謎めいた西行の一解釈だが、白洲正子の愛した西行像にいちばん近い。

西行花伝 / 辻邦生西行花伝
辻邦生

体裁=文庫: 718 p ; サイズ(cm): 15 x 11
新潮社
1999-06
ISBN: 4101068100
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2006年06月14日

ぼくの根

江藤淳と少女フェミニズム的戦後―サブカルチャー文学論序章 / 大塚英志江藤淳と少女フェミニズム的戦後―サブカルチャー文学論序章
大塚英志

体裁=単行本: 219 p ; サイズ(cm): 19 x 13
筑摩書房
2001-11
ISBN:4480823476
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「私」を成立させることをめぐる村上春樹の禁欲さは注目に値する。村上春樹は「私」と歴史が徹底して乖離していることをまず確認し、そのことを立証することで初めて語りえた小説家だといえる。その意味で村上春樹は意図的な来歴否認者としてまず出発している。
ぼくには、いまぼくが座っているここに、このシステムの網目の中に「ぼくの根」を見つけることはできない。
「ぼくの根」はもっと違うところにある。

樹木は空に向かって根を張っている。
ぼくも空に根を広げたい。
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2006年06月10日

Left Bank

BEATNIKS

  Left Bank
  作詞:鈴木慶一 作曲:BEATNIKS

 この河はいつからか 水が流れてない
 ゴミの山とさびついた船あるだけ 苔のように
 恐竜の時代から 変わってない事は
 太陽と空と生と死が 在る事 過ぎてしまう事

 向こう岸は 昔、住んでいた所
 左岸を 海に向かって
 ぼくは歩く 君を愛しながら

 この愛はいつからか 片側だけのもの
 お互いの心さらけ出す その時 愛はだまってしまう

 向こう岸は 君と住んでいた所
 左岸を 風に向かって
 ぼくは歩く 君を忘れながら

 最強の敵は 自分の中にいる
 最高の神も 自分の中にいるはず

 向こう岸に ぼくの肉が迷っている
 左岸で 骨になるまで
 ぼくはしゃがんで
 ついに君に触れたことなかったね
 つぶやいて 泥で顔を洗う

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2006年05月22日

Beautiful Dreamer


スティーブン・フォスターの音楽はとても美しい。彼はニューヨークのホテルの洗面所で、ポケットの中にたった38セントしかない状態で死んでしまった。貧困のなかで書かれた音楽の、無垢な美しさ。

ふとんのうえで酔っぱらったおっさんのように眠りこけているあゆむさんへ。

  Beautiful Dreamer

 Beautiful dreamer, wake unto me,
 Starlight and dewdrops are waiting for thee;
 Sounds of the rude world heard in the day,
 Lull'd by the moonlight have all pass'd away!
 Beautiful dreamer, queen of my song,
 List while I woo thee with soft melody;
 Gone are the cares of life's busy throng,

 Beautiful dreamer, awake unto me!
 Beautiful dreamer, awake unto me!

 Beautiful dreamer, out on the sea
 Mermaids are chaunting the wild lorelie;
 Over the streamlet vapors are borne,
 Waiting to fade at the bright coming morn.
 Beautiful dreamer, beam on my heart,
 E'en as the morn on the streamlet and sea;
 Then will all clouds of sorrow depart,

 Beautiful dreamer, awake unto me!
 Beautiful dreamer, awake unto me!


Stephen Collins Foster(1826〜1864) Stephen Collins Foster(1826〜1864)
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2006年05月09日

さらに生き残りについて

さらに生き残りについて。

ジャック・デリダの最後の著作(というかインタビューの記録だけど)『生きることを学ぶ、終に』を読む。鵜飼哲の素晴らしい訳とあとがき、ジャン・ビルンバウムのデリダ論。
デリダは2004年10月9日に癌で亡くなった。もう1年半になるのか。その死の2ヶ月前に「ルモンド」にこのインタビューは掲載された。もちろんデリダは自身の病を知っている。

この対談の最初からすでに指摘していたように、そして、現在私が置かれている生き残りの経験以前から、私は、生き残りとは原初的な概念であり、私たちが生存と、こちらのほうがよろしければ現存在Daseinと呼ぶものの構造そのものを構成するということを強調してきました。私たちは構造的に生き残りなのであり、痕跡の、遺言の、この構造の刻印を受けています。しかし、そのことを述べたうえで、生き残りはむしろ、生の側、将来の側よりも、死の側、過去の側にあるとする解釈に流されたくはありません。いいえ、いつでも脱構築は、<然り>の側、生の肯定の側にあります。私が――少なくとも『海域』所収の『禁止=歩み』以来――生/死の対立の複雑化としての生き残りについて述べてきたことは、私にとっては、生の無条件的肯定に発しています。
生き残りとは生の彼方の生、生以上の生のことであり、私が展開する言説は死と狎れあうようなものではありません。反対にそれは、死よりも生きることの、すなわち生き残ることのほうを好む生者の肯定なのです。というのも、生き残りとは、単に残るもののことではなく、可能なかぎり強烈な生のことなのですから。幸福と快楽の瞬間ほど、私が死ぬことの必然性の取り憑かれることはけっしてありません。享楽することと、迫る死を思い悲嘆に暮れて泣くこと、私にとってそれは同じことです。自分の生を思い返すとき、私には、自分の生の不幸な瞬間まで愛するというチャンス、それらを祝福するというチャンスがあったと考える傾向があります。一つの例外をのぞき、ほとんどすべての不幸な瞬間を。幸福な瞬間を思い返すときには、それらもまた、私はもちろん祝福します。同時にそれらの瞬間は、死の想念に向けて私を急き立てます。なぜなら、それは過ぎ去ってしまった、終わってしまったのですから・・・。

462207138X生きることを学ぶ、終に
ジャック・デリダ 鵜飼哲・訳

体裁=単行本: 85 p ; サイズ(cm): 19 x 13
みすず書房
2005-04-22
ISBN: 462207138X
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2006年05月08日

子どもは笑う

ふたたび谷川俊太郎の『シャガールと木の葉』から、
あゆむさんへ。

  子どもは笑う

 子どもが笑っている
 ひとりで笑っている
 ひとりでに笑っている
 誰もいない野原で

 丘のほうから吹いてくる風
 さっき岩の上で見た虹色のトカゲ
 泥まみれの友だちの泣き声の谺
 祭りの太鼓の思い出
 頭の真上のまぶしい太陽

 見たもの聞いたもの
 嗅いだもの触ったもの
 それらすべてにくすぐられて
 子どもが笑っている

 今いのちが生れているのだ
 子どもの中に

  *

 子どもには百千もの笑うわけがある
 それが大人にはただひとつにしか見えない
 子どもが笑っているだけで大人は安心してしまう

 だが子どももまた
 苦しみを笑うすべを知っている
 垢だらけの無垢をあらわに

 子どもはもう
 大人を嘲るすべを知っている
 あどけない笑顔を武器に

 百千もの笑顔を
 大人は見分けているだろうか

  *

 どこで覚えたのか
 いつ覚えたのか
 笑うことを
 大声で泣きながら
 この世に生れたあとで

 この世と戦うためにほほえむ子ども
 この世と和解するためにほほえむ子ども
 どんな貧しさも
 どんな富も子どものほほえみを奪うことは出来ない



シャガールと木の葉 / 谷川俊太郎シャガールと木の葉
谷川俊太郎

体裁=109 p ; サイズ(cm): 21 x 15
集英社
2005-04
ISBN: 4087747581
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2006年05月06日

ソラニン

さて『ソラニン』の話。

ぼくは、ほとんどコミックを買って読まない。いやすいません、毎週コンビニで立ち読みしてすませているってのがほんとのところです。だから『20世紀少年』が唖然とする大団円(?)を迎えたことも知っているし(これは間違いなくしばらくしたらイベントあるでしょう)、古谷実が新作を書き始めたことも知っているし(タイトルは忘れたけど)、『ムーンライト・マイル』が夢溢れるSFコミックからすっかり政治小説化してしまっていることも気になっているし、相変わらず『ベルセルク』の圧倒的な筆力に毎回どきどきさせられている。つまりマンガが嫌いってことじゃない。

そんななかひさしぶりに買ってしまったコミックが(というか、ともちゃんに無理やり買わせた)のが浅野いにおの『ソラニン』だったりする。

浅野いにおの作風は短編向きだ。どこかで「物語」ってもんを拒否している風でもある。たとえば(ネタバレをしちゃうけど)、この作品は社会人になったばかりのカップルが主人公なんだけれども、いきなり前半で主人公の片方が死んでしまう。女の子のほうが残りの物語を担うんだけれども、それも普通のマンガならここから本格的なストーリーが始まるってところでいきなりエンドしてしまう。

まあ、今風に言えば「自分探し」系の話で、普段ならぜんぜん食指が動かないわけだけれども、この青臭さはぼくが一度は通過したものなわけで、気恥ずかしいけどやっぱり嫌いにはなれない。
緻密な演出とカット割りは映画の文法にずいぶん依拠しているけど、古谷実へのレスペクトも随所に感じられて素敵。

で、ぼくは。
ぼくはビリーみたいになりたい。

ソラニン (1) / 浅野いにおソラニン (1)
浅野いにお

体裁=コミック: 208 p
小学館
2005-12-05
ISBN: 4091533213
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ソラニン (2) / 浅野いにおソラニン (2)
浅野いにお

体裁=コミック: 221 p
小学館
2006-05-02
ISBN: 4091510760
by G-Tools
posted by Dr.DubWise at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わたしのやりかた

松浦寿輝の『方法叙説』を読む。

筆者自身は「方法叙説」という言葉を「わたしのやりかた」という程度の意味だとしている。が、明らかにデカルトの『方法叙説』を意識しているんだろう(直接デカルトを引用するわけではなく、フロイトを経由して間接的に語るという念の入れようだが)。

Wols / Bleu Optimiste Wols, "Bleu Optimiste"

デカルトの『方法叙説』の正式な書名は、『理性を正しく導き、諸学における真理を求めるための方法についての叙説、なおこの方法の試みなる屈折光学、気象学および幾何学』というやたらめったら長い書名でだったりするのだが、たとえば次のようなテキストを読んでいると、松浦寿輝はデカルトとは正反対の「やりかた」を試みようとしていることがわかる。

わたしがわたしであることの不快。快楽はいつも差異の中にある。「他人とは違う」ことをやろうと心を砕くのは、単なる自己顕示欲の変形であり、虚しい社交的慰戯の一様態にすぎない。むしろ絶えず「自分とは違う」ものでありたい。そのつど「自分とは違う」自分とめぐり逢っていたい。「自分が自分である」ことの不快から自分を癒すためにわたしは書きつづけてきたのではないか。
いずれにせよ、統一性(ユニテ)の概念は書くことの敵である。ただ一度しか起こらない出来事が、差異を誇示しつつ混沌として立ち騒いでいればそれでよい。途切れ途切れのものの隙間を「伝って」ゆくにつれて、書く身振りの対象も様態もスタイルも次から次へと異なっていかなければならなかった。統一性の観念は絶えず訴訟にかけられねばならず、一度かぎりの出来事は反復とは異なる複数化の回路に導き入れられなければならなかった。
カードマジックの天才だったダイ・ヴァーノン、フランスで活躍した画家ヴォルス、それにあのロラン・バルトの3人を縦糸にしながら、自分自身の「やりかた」について綴る。

Wols / Ohne Titel Wols, "Ohne Titel"

ある一点、つまり「意味」に不透明なまま収斂していこうとするコトバを、凝固する寸前で曖昧なままにしておくこと。たとえば彼はそれを「ヴォルスのように書くこと」とか「迂回路」とか「迷うこと」「伝うこと(沿うことではなしに)」「形相的官能」と書いていて、ぼくには「生理的に」得心できる。

彼の湿度を感じさせる文体の秘密も、「水」をめぐるテキストで少しだけ明かされる。松浦寿輝による自身の入門書・解説書って感じの本。もちろん松浦寿輝なんて知らない人も、ただなんとなく休日の昼下がりにワインか日本酒を飲みながら読むのにいい。

方法叙説 / 松浦寿輝方法叙説
松浦寿輝

体裁=160 p ; サイズ(cm): 19 x 13
講談社
2006-02
ISBN: 4062129736
by G-Tools

posted by Dr.DubWise at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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