2006年11月08日

自分を落としてしまった話。

「取られてゆきし山々を…」(稲垣足穂によるパステル画)
「取られてゆきし山々を…」(稲垣足穂によるパステル画)

ぼくは子どもの頃、かなりなオカルト愛好家だった。いま考えると笑っちゃうけど。澁澤龍彦をはじめて知ったのも『黒魔術の手帖』とか『秘密結社の手帖』とか、オカルティックな内容の本でだったし。雑誌「ムー」もお金があれば買っていた。たしか最初に買ったのは「超古代シリウス星人の地球植民計画」とかなんとかいう特集で、これでドゴン族とシュメールの名前をおぼえたのでした。恥ずかしいなあ。

で、その頃のぼくをおびえさせたオカルト情報に「ドッペルゲンガー」ってのがある。いわゆる「分身」ってやつ。wikipediaによるとこんな感じ。

ドッペルゲンガー(Doppelgänger)は、ドイツ語で、生きている人間の霊的な生き写しを意味する。

ドイツ語の「ドッペル (doppel)」は、英語の「ダブル (double)」に該当し、その存在は、自分と瓜二つではあるが、邪悪なものだという意味を含んでいる。また、自分の姿を第三者が見たように見えてしまう現象のことを言うときにも使われる。自ら自分の「ドッペルゲンガー」現象を体験した場合には、「その者の寿命が尽きる寸前の証」という民間伝承もあり、未確認ながら、数例あったということで、過去には恐れられていた現象でもある。
子どもの頃のぼくは、ドッペルゲンガーに心底おびえていた。
「もうひとりの自分がどこかにいる」という幻想も恐ろしかったけれども、もっと恐ろしかったのはその「もうひとりの自分」がどんな風に生まれるのか、「もうひとりの自分」の記憶はいったい何処に行くのか、何処に保存されているのかということだった。

あの恐ろしさ、得体の知れなさをどう表現したらいいんだろう。ぼくはとっくの昔にドッペルゲンガーへの恐怖を感じなくなったけれども、遠い昔のあの恐怖感は生々しく思い出せる。
ぼくを恐怖させたのは、ドッペルゲンガーを見たら死んでしまうという伝承ではない。恐ろしかったのは「もうひとりの自分」の発生の秘密だったし、その終わりの秘密だった。彼はどのように生まれ、死ぬのか。ぼくはそのとき何か感じるのか。
あのおびえ方は、いま考えると普通じゃなかった気がする。

だからぼくは『一千一秒物語』のこんなコントを、ドッペルゲンガーの生まれる瞬間だと思った。

  ポケットの中の月

 ある夕方 お月様がポケットの中に自分を入れて歩いていた 坂道で靴のひもがとけた 結ぼうとしてうつ向くと ポケットからお月様がころがり出て 俄雨にぬれたアスファルトの上をころころころころとどこまでもころがって行った お月様は追っかけたが お月様は加速度でころんでゆくので お月様とお月様との間隔が次第に遠くなった こうしてお月様はズーと下方の青い霞の中へ自分を見失ってしまった
これはドッペルゲンガーの生まれる様子なんだろうか?
そもそもドッペルゲンガーは、精神病理学的には「自己像幻視(オートスコピーAutoscopy)」として知られている。統合失調症(分裂症)の急性期に見られることが多いとされている症状である。

そういえば数年前、某地方都市の古本屋で、稲垣足穂の精神病理学的な分析を行っている本を発見した。書名は失念したが、高木隆郎によるものだったと思う。ひょっとすると自費出版の類だったろうか?
ぱらぱらと立ち読みしてみたが、足穂の分裂症気質を延々指摘した内容だった。ふ〜ん、と思ったものの購入しなかった。その後どの古本屋でも見かけない。ちょっと後悔している。

お月様は、靴ひもを結ぼうとして自分を落としてしまう。どちらが「本当の」お月様かぼくらにはわからない。落としたほうも転がったほうも、同じお月様であるように思える。
このコントの話者は、落としてしまったお月様でも転がってしまったお月様でもない。作者たる足穂である。

ぼくにとって重要なのは、靴ひもを結ぶなんてごく些細なことでドッペルゲンガーが生まれてしまうことだ。
実はぼくらは、常にドッペルゲンガーを生んでいるのではないか。つい居眠りしてしまったとき、石につまづいてしまったとき、トイレに入ったその瞬間、それと知らずにドッペルゲンガーが生まれているのではないか。そんな不穏さ、不安を感じてしまう。

ではこのコントはどうか。

  自分を落としてしまった話

 昨夜 メトロポリタンの前で電車からとび下りたはずみに 自分を落としてしまった
 ムーヴィのビラのまえでタバコに火をつけたのも―かどを曲がってきた電車にとび乗ったのも――窓からキラキラした灯と群集とを見たのも――むかい側に腰かけていたレディの香水の匂いも みんなハッキリ頭に残っているのだが 電車を飛び下りて気がつくと 自分がいなくなっていた
話者は誰か。「自分」ではない。「自分」はどこにもいないのだ。しかし〈自分〉でしかありえない。〈自分〉には記憶が残っているからだ。
もしかすると、この話者たる〈自分〉こそがドッペルゲンガーなのかもしれない。取り残された〈自分〉は偽者の「自分」である。話者であるからこそ〈自分〉は偽者であるのかもしれない。

  自分によく似た人

 星と三日月が糸でぶら下っている晩 ポプラが両側にならんでいる細い道を行くと その突きあたりに 自分によく似た人が住んでいるという真四角な家があった

 近づくと自分の家とそっくりなので どうもおかしいと思いながら戸口をあけて かまわずに二階に登ってゆくと 椅子にもたれて 背をこちらに向けて本をよんでいる人があった 「ボンソアール!」と大きな声で云うと向うはおどろいて立ち上ってこちらを見た その人とは自分自身であった
一見、典型的なドッペルゲンガーである。
しかし「よく似た人が住んでいる」と告げたのは誰か。まったくの第三者なのだろうか。だとしたら「その人」とは、物質化したドッペルゲンガーなのだろうか。(病理学的に自己像幻視において幻視される像は、確信的に自己であると認識される。たとえ影のようなドッペルゲンガーであっても。)

それにしても妙に平板な印象を与えるコントである。それは「近づくと自分の家とそっくりなので」という記述があるからか。かの世界は、おそらくこの世界の鏡像となっているのだ。
この世界には隣り合った鏡像世界があるということだろうか。鏡像世界、というよりも足穂用語を使って「薄板界」と言ったほうがすっきりする。「この世界は無数の薄板の重なりによって構成されている。薄板界はいわば夢の世界である。」(「タルホと虚空」)

  どうして酔よりさめたか?

 ある晩 唄をうたいながら歩いていると 井戸へ落ちた
 HELP!HELP! と叫ぶと たれかが綱を下ろしてくれた 自分は片手にぶら下げていた飲みさしのブランディびんの口から匍い出してきた
さらに世界は変容する。持っているビンが巨大化したのか、自身が小さくなってしまったのか。「飲みさしのブランディびん」は、いま誰が持っているのだろうか。「たれか」とは誰か。これもまた、ドッペルゲンガーに関するコントではないのか。

足穂のテキストは、常にモダニズムの文脈で語られてきた(阪神間モダニズムの旗手とされてきた)。たしかに初期の足穂のテキストは、情緒的なものを徹底的に排していて、お洒落でモダンでフラジャイルだ。
しかし、その根源的不穏はいまだに注目されていない。足穂はたしかに分裂症気質ではあったろうけれども、この根源的不穏はむしろ離人症的感覚ではないか。契機とはいえない契機をきっかけに、カチリと自己や世界が変容する。
解離性同一性障害(DID)と足穂という見方も刺激的ではないか。

「一千一秒物語」稲垣足穂コレクション(1) / 稲垣足穂「一千一秒物語」稲垣足穂コレクション(1)
稲垣足穂

体裁=文庫: 382ページ
ちくま文庫(筑摩書房)
2005-01
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2006年10月17日

鉛筆奇談

Great Comet of 1532
Great Comet of 1532

ずいぶん間が空いてしまったけれども、足穂の鉛筆の続き。

日本文具資料館に電話をかけてみた(3ヶ月も前だけど)。担当の方が数日かけて調べてくださったが、当該の資料が見つからないということだった。どうもここには三菱鉛筆に月星マークはないらしい。となると、タモリ倶楽部に出た鉛筆は何だったんだろうか。映像を見ないことにはよくわからないなあ。お持ちの方、コピーを見せていただけないでしょうか?

足穂の鉛筆はいったい何か。いまだ正体不明な「月星鉛筆」か。
とか考えていたら、たまたま立ち寄った古本屋で見かけた中公文庫ヴィジュアル版『文房具の研究―万年筆と鉛筆』にヒントを発見。「月星」マークの鉛筆ってのはステッドラー社の製品だったのかもしれないぞ。

現在、「マルス」マークの鉛筆で有名なステッドラー社(J.S.Staedtler)は、ムーン、ルナ、マルス、ノリスとブランドを作ってきた。最も有名なマルス・ブランドは1901年にはじまる。それ以前、最も売れていたのがムーン・ブランドだった。

『文房具の研究―万年筆と鉛筆』には、ステッドラー・ムーン・ブランドの写真が載っているんだけれども、ずいぶん小さい写真なのでよくわからない。1ダースの鉛筆に紙帯を巻いてある。この紙帯に「J.S.Staedtler」と印刷されている。マークも印刷されているようだけど、図柄まではよくわからない。
おそらくムーン・ブランドは、1901年以降もマルス・ブランドと平行して製造販売されていたはずだ。ムーン・ブランドがいつまで販売されていたかはよくわからない。

この本に掲載された写真は京都の文適堂という老舗の事務用品屋さんに併設された文具資料館に所蔵されていたものだった。しかし、文適堂は2001年に倒産、文具資料館も閉鎖したらしい。ひょっとすると、貴重な資料群は散逸してしまったかもしれない。ここにも手がかりはない。ステッドラーの社史とかあればいんだけど。

YahooオークションやeBayのようなオークションサイトをまめに見ているんだけれども、ステッドラーの紙帯ムーン・ブランドは出品されない。日本のどこかにあるとは思うんだけれどもなあ。ご存知の方、いませんか?

+ + +

では、足穂とステッドラー社の接点はあるのか?
昭和4年(1929年)に発表された「鉛筆奇談」という短編を紹介したい。ごく短いテキストなので全文引用する。

   鉛筆奇談

 「スールレアリスムってのかね」とAが云った「Ueda Toshio君などしっかりしていると思うし、その詩を読んでみると、何か気持ちがよくなるところもあるが、僕にはまあそれくらいでまだよくわからないが」
 「君は何でも」と両手で四角をこしらえながら云った「こんなワクに入っているようなものでないといけないんだから紫の王さまとか何とかいうものを好まないんだろう。俺もそうらしいんだ。たとえばこんな事ならまだわかるがね――僕がちいさかった頃お母さんに連れられて外国から来たサーカスを見に行ったことがあるが、その大きな傘形のテントの上にまんなかから赤いコッピー鉛筆が立っていたのだ、これは」
 「エンピツならこんな話があるよ」とAが云った――
 「僕の部屋は一方がガラスで磨ガラスはその三分の二を占めているから、反対の壁ぎわに寝ていると、三分の一の白いガラスのところから空がほそ長くよく見渡されるのだ。
 君、お月さまって左向きと右向きとは随分ちがうね、この間あれに目鼻がついてあるわけがはじめてわかったよ。普段見る三日月というのは左向きだが、月も明方のやつ即ち右向きになるとね、左向きとはちがった谷や影のせいだろう、弓のうち側のところがギクシャクしてほんとうに横を向いた顔に見えるから妙だよ。宵の月なんか見ている奴は野暮で、あの男か女か子供かおじいさんかわからぬようなお月さまの横顔を見た西洋人は、たぶんドイツ人でそして明方に寝るような何かそんなしゃれた職業の男であったと思えるんだが、それでね、その明方ふと僕が眼をさましたとき紫いろのなかに、そんな橙色をした二十日過ぎのやつがひっかかっていたのだが、正しく目鼻がある。気のせいかと思ってメガネをとってみたが、どうしても横を向いた顔にちがいない。それっ切りで僕はまたウトウトしてしまったがね、この間にちょっとした夢を見たんだ。
 ――何でもちいさなエレベータでのぼって行ったところにある灯のついた帽子屋で山高帽を買ったが、通りに出てみると、それは以前に持っていた緑色のバタースビイ製の中折なんだ。それで再び帽子屋に引き反したがね、今度は僕のまえに山高の箱が次から次へならべられた。たしかその三番目であったと思う、僕は円筒形の箱のふたに大きくかいてある字をよんだ「ラリー将軍珍戦型」
 しめたと思ったよ。
 「え、これは最も最新なものでして手まえ共には一つしか参っていません」と番頭さんが云う「それでそのお値段でございますが、じつはNakamura氏ともよく相談したのですが、あなたの事だから二十円でよいとのことでございます」
 その僕が知っているらしい支配人が何かMuraoさんであるような気がしたがね、そう云えば番頭さんもNarasakiさんのようでもあったよ。ともかくラリー型は僕のものになったさ・・・
 こうして眼をさましたら、さきほどの月はそれは横にした僕の顔を少し上へねじるくらいのところに見えたのだが、今度は少し又反対の方へねじらねければならぬくらいのところまで移っていた。空はもう水色になって月は白かった。ハハンこれやこの月のうごいた何分の一弧の夢というんだな、と思いながら僕は見たがね、やっぱり横を向いた人の顔だ」
 ――そう云ってAは指でもって短い弧をえがきながらつけ足した。
 「云い忘れたが月のうごいたこのカーヴのまんなかにね、煙突があるのだ。しゃくれ顔だけの先生は僕の夢の間にここをすれすれに越えたわけであったが、この煙突がよく見ると六角の棒さ――、まがう方ない大きなStaedtler's Pencilであった」
『文房具の研究―万年筆と鉛筆』中公文庫編集部編文房具の研究―万年筆と鉛筆
中公文庫編集部編

文庫: 158ページ サイズ (cm): 15 x 11
中央公論社
1996-01
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『星の都』稲垣足穂星の都
稲垣足穂

単行本: 319ページ サイズ (cm): 21 x 15
マガジンハウス
1991-05
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2006年07月21日

月星印を探す

Comet Hale-Bopp

引き続き、足穂の「赤いコッピーエンピツ」について。
さて、三菱鉛筆から連絡があって、以下のようなことがわかった。

戦前、コピー鉛筆は赤と黒紫の2色が発売されていた、とのことだが実際にいつから発売されていたのか、単価がいくらだったのか、など詳しいことはわからない。当時コピー鉛筆は輸入モノが多かったが、日本でも数少ないコピー鉛筆製造元だったとのこと。また、戦災で資料のほとんどが焼けてしまっているのだそうだ。

三菱鉛筆が所有している資料の中でもっとも古いものは、昭和12年のカタログだそうだが、絵や写真が記載されていないため、鉛筆に刻印されていたマークの詳細はよくわからない。しかし月星印ではなかったらしい。お探しの鉛筆は「月星鉛筆」という会社(もうすでに廃業している)のものではないか、と。

+ + +

月星鉛筆について、今のところまだ十分に調べていない。が、こんなログ(東京の地名について詳細に調べたものすごいHP)を見つける。

水車橋(新宿区)
維新後高遠藩内藤家は渋谷川以西の屋敷地を明治政府に奪われたため多武峰神社(内藤町)の辺りに引き籠り、明治6年に3連水車を建て搗物業(臼で米糠を除去したり、穀類を製粉する)を営んだという。明治20年頃真崎甚六はこの水車を借り受けて「真崎鉛筆」を興した。その後の「月星鉛筆」だ。彼は自業の傍ら「三菱鉛筆」に技術指導もした。
ちなみに、wikipediaの「三菱鉛筆」の項によると「真崎鉛筆」は三菱鉛筆の前身であり、東京市四谷区内藤新宿1番地に開業したとある。この住所が水車橋と同一なのか。

上記のテキストによれば、「真崎鉛筆=月星鉛筆」なのだ・・・ もう何がなんだか。
日本文具資料館にあるという「月星印の三菱鉛筆」がヒントとなりそうだ。というわけで日本文具資料館に問い合わせをしているところだ。まだ赤いコッピーエンピツの話は続く。

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稲垣足穂

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2006年07月20日

赤いコッピーエンピツ

夜空

入学式の10日ほど前だっただろうか。入学する高校へ仕立てあがっているはずの制服を取りに行った。制服だけではない。革靴や体操服、ジャージ、教科書などなど。買わないといけないものは多くて、たかだか高校入学にずいぶん散財するもんだと思った。ノートや鉛筆まで売っている。文房具は絶対買わなくてはいけないものでもなかったから、そのときエンピツを一本だけ買った。三菱鉛筆だったと記憶している。金色の校章が入った緑色の鉛筆。

高校の友だち、とくに寮生には、「モノ」にこだわっているヤツが多かった。風呂でボディタオルではなくボディブラシを使うK君。洗面器ではなく檜桶を使うI君。M君はファーバーカステルの色鉛筆しか使わない。Y君はトランクスをはかない。青のビキニしか持っていなかった。

ぼくは高校3年間、ずっとエンピツを使い続けた。これがぼくの唯一のこだわりか。使っていたのはBの三菱鉛筆。ちなみに校章入りのエンピツは1本あたり5円高いので、最初に1本買ったきりだった。

+ + +

学校を休み気味のT君は、キリスト教系の「原理主義者」だという噂だった。
ぼくらにはその「原理主義」というものがどんなものか想像もできなかった。いくつかヘンな噂があったが極めつけは、エンピツを使って外人の校長(神父でもあった)に説教をする、というものだった。
曰く、「エンピツはなぜ六角形かわかりますか? これは神の完全性の徴しなんです。云々」
意味が分からなかったが、エンピツと神が結びつくなんて、日本人離れしている感性だとちょっと感心したのだった。

+ + +

稲垣足穂の『一千一秒物語』のなかのごく短いコントにこんなものがある。

  赤鉛筆の由来

 昨夜 自分は赤いホーキ星が煙突や屋根をかすめて通ってきて 物干場の竿にひッかかって落ちたのを見た ところでけさ起きてしらべてみると この赤いコッピーエンピツが落ちていたのである
この「コッピーエンピツ」なるモノがなにか、ずいぶん長い間謎だった。
いや、長い間ぼくは、サクラクレパスの「クーピー(coupy)」ではないかと思っていたのだ。coupyはコッピーと読めそうだ。
だけどなにかおかしい。タルホロジーの基本である「観念臭さ」がサクラクーピーには足りないのだ。そもそも大正時代にクーピーがあったんだろうか。

そんなこんなで数年が過ぎたのだが、ひょんなことでこんな資料を見つけた。大正日日新聞の1920年2月29日(大正9年)の記事、「鉛筆需給の近況(新嘉坡に於ける本邦製鉛筆)」から引用する。

謄写用鉛筆は比較的高等の商工業に従事するものに需要多く紫コッピー鉛筆は殊に一層愛好せられて居る黒心鉛筆は主として学童及び支那人或は土着人の使用に供せられ繰出型鉛筆は多く支那人の使用する者が多い
「新嘉坡」はシンガポールのこと。日本で生産されシンガポールへ輸出された文房具がどのように利用されているかを伝える記事なのだが、ここに「コッピー鉛筆」という言葉が登場している。コッピー鉛筆が「比較的高等の商工業に従事するもの」が利用していることに注意して欲しい。つまりまず間違いなくサクラクーピーじゃないってことだ。
ちなみにこの記事は、『一千一秒物語』刊行の5年前だから時期的にもあっている。

ではコッピー鉛筆とはなにか。日本鉛筆協同組合のHPを見ていると、ありました! 昔は「コピー鉛筆」というものがあったのです。

三菱鉛筆 黒紫コピー鉛筆
(戦前の製品)
筆跡を消すことができない鉛筆で、重要な書類のサイン等に用いられた。文字が時間とともにインキで書いたように消えなくなり、筆跡を永久保存でき、水に浸すと筆跡が紫色に変化する。
三菱鉛筆 黒紫コピー鉛筆

要するに、消しゴムで筆跡が消えない鉛筆ってことだ。
では、足穂の書いた「赤いコッピーエンピツ」は三菱鉛筆製なんだろうか。舶来モノかもしれない。そう、足穂は舶来好きでもある。

でも、やっぱり「赤いコッピーエンピツ」は三菱鉛筆製なはずだ。そう確信できるログを発見した。なんと深夜カルト番組『タモリ倶楽部』から。(ソースは「タモリ倶楽部の部屋」)

2003年11月25日放送の「そうだ博物館へ行こう 全国超レア博物館大賞決定戦」。
これは「博物館の情報や博物館代表によるお宝自慢から、行ってみたい博物館を選定する。選定は、1対1の対戦形式で行い、審査員3人がいずれかに軍配をあげて勝ち残りを決める」というグダグダな企画。問題は、第3戦の「麻雀博物館VS日本文具資料館」。

麻雀博物館では麻雀発展の歴史がわかったり、日本や世界の珍しい牌・雀卓が見られる。お宝は初の麻雀ゲーム、眼鏡をかけると中が透視できる牌。日本文具資料館には年代物の硯、古い計算機など、多くの人の寄贈による文具が揃う。お宝は月星印の鉛筆(いまの三菱鉛筆)、世界初の携帯電子計算機、単発式ホチキス、SHEAFFERのインク瓶。日本文具資料館が勝利した。
「月星印の鉛筆」!? これはもう間違いないんじゃないだろうか。「赤いコッピーエンピツ」は三菱鉛筆製なはずだ。

というわけで、いま三菱鉛筆本社に問い合わせをしている。
三菱鉛筆では大正14年に赤いコピー鉛筆を製造していたのだろうか。赤いコピー鉛筆には月星マークはあったんだろうか。
ずいぶん昔のことだから調べるのも時間がかかるとのこと。結果がくるのが楽しみだ。

「一千一秒物語」稲垣足穂コレクション(1) / 稲垣足穂「一千一秒物語」稲垣足穂コレクション(1)
稲垣足穂

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2006年07月08日

土星の話

稲垣足穂の『一千一秒物語』には土星に関するコントがひとつある。

  土星が三つ出来た話

街かどのバーへ土星が飲みにくるというので しらべてみたら只の人間であった その人間がどうして土星になったかというと 話に輪をかける癖があるからだと そんなことに輪をかけて 土星がくるなんて云った男のほうが土星だと云ったら そんなつまらない話に輪をかけて しゃれたつもりの君こそ土星だと云われた
『第三半球物語』にもこんなコントがある。

  泣き上戸

 ある晩、土星がルールブリタニアを歌いながら街角を曲ってきて、そこにあるバーへ入ろうとしたが、入口に環が閊えたので、環を外して表へ立てかけておいてから、彼は入っていった。
 そのあと自転車がやってきて、ちょうどバーの内部から投げ飛ばされた酒壜を轢いて、パンクして、止った。
 運転者は、彼の眼の前に立てかけてある手頃な環をタイヤの代りに車輪を嵌めて、元のように行ってしまった。
 やがて出てきた土星は、そこに環のないことを知ったが、アスファルトの上に壜の破片を見て、彼は何事が起ったか察した。
 再びバーの中へ飛び込んで、調理場から頃合の庖丁を選び取って、片手に逆握りするなり、自転車が去ったと思われる方角へ、出来るだけ速く転がって行った。
このコントには後半がある。バーに残ったふたりのホーキ星の会話があとに続くのだ。「泣き上戸」というタイトルは、片方のホーキ星がもう一方にからまれた挙句、泣き出してしまうからだ。

+ + +

ぼくの祖父は見事に禿げていた。側頭部や後頭部にはかろうじて髪が残っていたが、頭頂部はつるつるぴかぴか。要するに、額の生え際が後退したか、頭頂部の「砂漠化」が進行したのか、とにかくそういう禿げ方をしていた。

学生の頃、友人と禿げの分類をしたことがある。なんでそんな話になったかわからない。安い居酒屋でビールを飲みながら、禿げた教授を酒の肴にしていたんだろう。禿げた教授の名前を出して、「うずまき禿げ」「鬼禿げ」「うすら禿げ」「バーコード禿げ」などと分類した。この分類に従えば、ぼくの祖父は「土星禿げ」ということになる。

「土星禿げ」は、残った髪の配置と土星の環をかけたものだったが、ぼくはこの名前をずいぶん気に入った。M教授・・・というよりも「土星禿げ=祖父の禿げ頭」という意味で。いや、もっとしっくりきたのは「土星頭」だ。子どもの頃、すでにそんな言葉を思いついていたような気も、ほんとうにしてきたものだった。

晩年の足穂の禿げ頭だって「土星頭」と言っていいのではないか。足穂の禿げ頭を「消しゴム頭」といったのは誰だったか? それもなかなかモダンだけど、ぼくには「土星頭」といったほうがなんとなくしっくりする。あのツルンとした頭、黒縁の眼鏡で葉巻を吹かされては、「土星的」としか言いようがない。

ボイジャー2号の撮影した土星

ぼくは子どもの頃、天文学者になりたかった。けっこう本気だった。
ボイジャー1号だったか2号だったか、木星や土星に接近するとき、テレビで特番をやっていた。子どものぼくはテレビにかじりついて見た。たしか小学校の低学年だったと思う。こんな子ども、いま考えると珍しくないか?

木星の荒れ狂う大気の流れ、クレーターに覆われた衛星表面の多様さ、次々と発見される新しい衛星。
なかでも土星の環の美しさに心をうたれた。レコードの溝のような何十万本もの環。幻想的で美しくて、子どものぼくにとって、それはこの世のものではなかった。

ぼくは、木星の大赤斑よりも、土星の環のほうが好きだ。途方もない規則性と純粋幾何が産んだカーヴを身にまとった巨大な星、土星。南北両極にオーロラの冠までかぶって!

ボイジャー2号の撮影した土星の環

この世の中には、天体に憧れるという奇人がたくさんいる。足穂もそうだし、ぼくもそうだ。ウェブをめぐれば、自分が撮った天体写真を載せた個人サイトが星の数ほどある。
それは何故か? 足穂は『わたしの耽美主義』に、こんなことを書いている。

月及び星々は最も古参であるにも拘らず、仰ぎ見るたび毎にわたし達の頭にへんな気分を惹き起すのは、それらが余りに超絶的であるから、どんな事柄の掛かり合いに引出されても、その為に染められるということがないからである。
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稲垣足穂

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