2007年02月18日

Living Inside the Shell

Living Inside the Shell

 Living Inside the Shell
  Words:Shanti Snyder
  Music:Yoko Kanno

Roaming in-between the worlds of sleep and awake
Seems so far away from where I've been and unsure but not afraid
Entrusting—my soul—I know I must be taken to see the world that is
Not so far from now

Imaginations come and sweep the shores of my mind
Letting it be, visions pass, and emotions arise
Letting them go, and beyond are doors I've never seen
Opening one by one

(Wake up and show the light, wake up, the time is right)
I hear a voice, hear a voice calling out to me
Look inside, see the light now ever holding you
All the truth is all you need to make of your reality, it's right here
Look deep within your shell

Finding out a galaxy of planets and stars within me
Listening to each of them singing the same silent melody
I've never seen such beauty in possibility—no speck of doubt or fear

(Wake up and show the light, wake up, the time is right)
I hear a voice, hear a voice calling out to me
I see inside, see the light now ever holding me
All the truth, all I need to make of this reality
It's beauty within the shell

(Wake up and show the light, wake up, the time is right)
I hear a voice, hear a voice calling out to me
I see inside, see the light now ever holding me
All the truth, all I need to make of this reality,
It's inside, right here within the shell

The sand-glass starts for another time's beginning from within
Cotton fields, mama's arms are gently unfolding me into the new…

Wake up and show the light, wake up, the time is right
Here from behind my sight, my thoughts, my mind
Show the light, the time is right
And from the depth within show the balance
Of outer and inner harmony
Mind and heart, soul and spirit undivided
Here's where true strength and beauty lies
We'll see this before us with our own eyes
We'll see with our own eyes… love

(Wake up and show the light, wake up, the time is right)
I hear a voice, hear a voice calling out to me
I see inside, see the light now ever holding me
All the truth, all I need to make of this reality
It's beauty within the shell


最近、忙しくて頭パンパンな日々。
ブログかけなくてごめんなさい。
最近聴いている曲です。詞がすばらしい。
beauty within the shell
これを忘れちゃいけない。

菅野よう子『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T.2』攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T.2
菅野よう子

ビクターエンタテインメント
2004-05-26
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2007年01月28日

丹青活手妙通神

若冲は大岡春卜に師事したとされる。最初、春教とも号した。春卜は大阪で活躍した狩野派の絵師で、『画巧潜覧』『画本手鑑』『和漢名画苑』などの図譜を享保年間前後に出版している。が、現在残る若冲の作品に狩野派の痕跡を探すのは難しい。春卜と会ったことはあるだろうが手ほどきを受けたというよりは、おそらく版本による構図の勉強をしたという程度のことではなかろうか。「師事」というよりは「私淑」に近い関係だったと思われる。

むしろ若冲が影響を受けたのは、相国寺の大典顕常であった。若冲という号も大典が与えた。『老子』の「大盈は沖しきが若きも其の用は窮らず」に拠っている。「真に充溢しているものは、内は空虚に見えようが、その働きが尽きることはない」という意。「充溢」とは「働きそのもの」であるという古い中国の教えは、儒教的な倫理観が支配的だった当時、非常にアヴァンギャルドな思想であったと思われる。
若冲は写生をよくしながら写実だけにものめりこまず、自身の幻想を描きこんだ。たとえば、こんな鶏、現実にはいやしない。

伊藤若冲「紫陽花双鶏図」
伊藤若冲「紫陽花双鶏図」

ああ、この絵。ほんとうに素晴らしい絵だ。まさに生命の躍動。
九州国立博物館の『プライスコレクション・若冲と江戸絵画』では、入ると同時にこの絵がまっさきに目につくようにかけられている。しかも展示されているのは真っ赤な壁紙の貼られたショウケース。毎度ながら国立博物館の憎い演出には頭が下がる。

他の軸よりも高くかけられているので、お客さんは見上げるような形でこの絵に対することになる。軸の下方に二羽の鶏がいて、すさまじい形相で争っている。この緊張感あふれる一瞬に、ぼくらはもっとも良いポジションで接することが出来る。
子どもがこの絵を見上げながら、鶏冠の部分が小さな赤い点々で描かれているのを発見して驚いていた。そう、この絵には何度観ても驚きがある。また同時に畏敬の念も湧き上がってくる。

伊藤若冲「紫陽花双鶏図」部分
伊藤若冲「紫陽花双鶏図」部分

この二羽の鶏の目つき。こんな目を鶏は生理的にすることが出来ない。にもかかわらず、写生に明け暮れた若冲はそれを知っているにもかかわらず、あくまで擬人的に表現する。そこに在る「闘争」という〈働きの充溢〉をこのように表現したのだ。
よく見ると鶏の羽はずいぶんデフォルメされている。首の周りの「松毬のような」(@国立博物館のコメント)飾り羽は現実の鶏には存在しない。しかし若冲はあえて書き加えた。しかも念を入れた描き込みようで。そうだ、この羽の描写の素晴らしさはどうだろう。どのようにして若冲はこんな技巧に達しえたのか。透明感すら感じられる輝く羽。自然はこんなにも美しい。

若冲は鶏をよく描いた。庭先に鶏を放ち、よく観察し、写生した。彼の描いた鶏の絵は、自然の働きを写したものであると同時に彼の幻想を写したものである。鶏に仮託しながら、彼の〈綺想〉は花開いていった。

当時の上方には、世界に類を見ない一種の〈綺想主義(concettismo)〉が流行していた。若冲をはじめ蕭白や芦雪もこの流行のもとで創作活動を行っていたわけだが、上方の〈綺想主義〉の実体はまだ十分に解明できているとは思えない(というよりも、そういう視点での日本美術についてまとまった研究成果があるのか、ぼくは知らない。少なくとも辻惟雄先生もそこまで踏み込んではいない。是非、高山宏先生あたりに筆のすさびにでも書いてほしい)。
ぼく個人としては〈綺想〉の定義を、「写実と幻想の混濁した表現形式」としてみたいのだけれども、そのもっとも優れた表現が若冲の鶏の絵ではないかとひそかに考えている。

伊藤若冲「紫陽花双鶏図」部分
伊藤若冲「紫陽花双鶏図」部分

この紫陽花の表現を見よ。
これまで筋目描で描いてきた紫陽花を、絹本に岩絵具で描く際も筋目描風に描いてしまう。写実と幻想はここで入り乱れてしまう。画面の中心には思いっきり写実的でマンガチックで精密に描かれた二羽の鶏、その背景にはなんとも抽象的で微笑ましい造り物めいた花と幹。まさに〈綺想〉の表現だと思う。

当時の上方には、博物学的な趣味嗜好を持った畸人(好事家)たちが多くいた。中国から流れ込んでくる本草学の諸知識(李時珍の『本草綱目』に代表される)は、彼ら畸人たちの蒐集癖に拍車をかけた。文人や画家たちはそういった畸人たちと交わりながら、心の中に幻想を膨らませていったに違いない。

伊藤若冲「旭日雄鶏図」
伊藤若冲「旭日雄鶏図」

朝日に向かって「ときの声」をあげる雄鶏の勇姿。まっすぐと前を見据え、片足を軽く上げ、尾羽は軽やかに踊るよう。朝日のまわりには薄く霞がかかっているようで、朝の静けさがよく伝わってくる。

「丹青活手妙通神(丹青活手の妙、神に通ず)」。
佐賀に生まれ、上方で煎茶道を広めた高遊外売茶翁が若冲に送ったことばだ。ここでいう「神」はもちろん道荘的な意味でとらえなくてはならないだろう。この絵もまた、自然と若冲の心の内の〈働き〉(すなわち「神」)を写したものなのだ。

『プライスコレクション・若冲と江戸絵画』@九州国立博物館
 
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2007年01月22日

『プライスコレクション・若冲と江戸絵画』@九州国立博物館

九州国立博物館で行われている『プライスコレクション・若冲と江戸絵画』を観る。すでに2回目。この調子だとあと2、3回行ってしまうかもしれない。
とにかくぼくがずっと憧れてきた画家、伊藤若冲のこれほどまとまった展覧会をぼくは初めて経験するわけで、ボク的にはかなりやばい。ヤベェよ。かつ若冲の代表作「鳥獣花木図屏風」と「紫陽花双鶏図」が展観されるとなると、もはや感涙するほかないのです。
というわけで、ぼくなりの若冲に関するノートやら直感的な感想やらを数回に分けてエントリーしていきたい。

伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」右隻
伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」右隻

伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」左隻
伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」左隻

まずは「鳥獣花木図屏風」から。
今回の展覧会でも目玉だったこの途方もない大作の前には、今日はずいぶん長い行列が出来ていたので残念ながらじっくり観ることができなかった。まあ、そうだろう。日本画の常識を完全に無視した驚異的な作品なわけで、しかも分かりやすい。誰が観てもこの屏風の前に立つと楽しくなる。難しいことは抜きにして、この楽園の様子に笑みがこぼれないはずはないと思う。

まずこの絵は「桝目描」と呼ばれるモザイク画に似た独特な技法で描かれている。ちなみに桝目描で描かれた作品はこれまで3点しか見つかっておらず、それらはすべて若冲(あるいは若冲の工房)の手によるものだと思われる。

約1cm感覚で引かれた桝目に、色を塗り絵のように乗せていく。一隻につき4万以上の桝目があるらしい。一双で8万から9万の桝目があることになる。どれだけ時間がかかったのだろう。同色であっても濃淡を変えることで立体感を出している。そのせいもあってか、決して平坦にも単調にも感じられない(素晴らしい構図と色彩のバランス感覚にも因るのだろうけれども)。

伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」部分

それにしても、なぜ伊藤若冲はこんな奇抜な技法を編み出したのだろうか。
若冲は上方の裕福な青物問屋に生まれた。彼がおそらくいつも触れていた西陣織の「正絵」(方眼による図案の設計図)にヒントを得たのではないかといわれる。たしかに、若冲の遠縁には西陣織に関わっていたものがいるらしいが確かなことはわからない。
ちなみに屏風の縁裂にみえる部分も、印度更紗に似せた図案で桝目描によって描かれている。芸が細かいぜ、若冲さん。

あゆむさんがこの絵を観ていて発見したことがある。それは「スタンプがない」こと。つまり落款が押されていないということだ。なおかつ署名もない。そのためこの絵が若冲の真作ではないという説もある。このあたり、学会内でのドタバタ劇はこの際どうでもよいが、ぼく個人として言うなら、こんなに金と時間のかかる偽作を誰もやるはずがなかろうと思う。

伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」部分

右隻は白象を、左隻は鳳凰を中心にさまざまな動物や鳥たちが描かれている。鶏やインコ、オウム、七面鳥、鶴や孔雀、ライオン、バク、アシカ、ヤマアラシ、オランウータンにラクダ。みな仲良く共存する世界。白象の背中に注目しよう。敷物が敷かれている。普賢菩薩があそこに座るのかもしれない。あるいは羅漢たちか。とにかくこの屏風には仏教化された畜生道が表されている。トラとウサギが仲良く共存できる仮想世界だ。

ここには日本にはいない動物や鳥たちがたくさん描かれている。デフォルメされていたり、なんだかよくわかんない形をしていたり。ともちゃんが「なんで見たことがない動物たちを描けたの?」と不思議がっていたが、当時の上方には中国経由で世界の情報がいろいろと伝えられていた。また木村兼葭堂のような「知のセンター」もいた。若冲は、自身の創作活動の中核となる「綺想」のヒントを常に得られる立場にあった。特に兼葭堂との関わりは重要だ。このあたりの事情は、ちょいちょいまとめていきたい

それにしても、この絵の空の美しさ。空の群青は、藍銅鉱による顔料なのだろうか、ラピスラズリだろうか。素晴らしく澄んだ青空。こんな空を描いた画家をぼくは若冲以外知らない。この群青にどれだけ若冲はお金をかけたのだろう。この絵を発注したのはどこの誰なのだろう。おそらくどこかのお寺が発注したのだろうが、この屏風を最初に観たお坊さんはどんな顔をしたのだろう。きっとずいぶん驚いたんだろうなあ。

この屏風は少し離れてみるのもいい。二隻一双を全体で観ることができるポイントでじっくり眺めること。これを描いた画家の心を覗いてみるような気持ちで観ること。絵を描くことが楽しくて仕方がないひとが二百数十年前にいて、こんなに楽しくなる絵を遺してくれた。いまさら「美しい国」を作ろうと躍起になっている(?)あんまり学がない総理大臣もいるけれども、そんなに気負わなくても、ぼくらが生まれる前からこんなに綺麗な絵があるじゃないか。感謝しようぜ。
とにかくこの絵を観るだけでも、国博まで足を運んでも損はない気がします。

伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」部分

『プライスコレクション・若冲と江戸絵画』@九州国立博物館
 

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2007年01月21日

incidents 06

incidents 06

夢。

なにかのテレビ番組だろうか。
三島由紀夫の連続ポートレート写真。リムジンの中の三島は後ろのシートに座っている。真向かいのシートから男が身を乗り出し、三島にキスをする。驚きながら身を引く三島。だがその顔にははみかみがある。幸福感に満ちた写真。次に青空を背景にした三島の横顔。ナルシシズムと強い自信。
まるでテレビのように、数枚の連続写真が横に流れていく。必ず写真の三島の顔の部分に、フォーカスマークがつく。少し不思議に思う。

シークエンスが替わる。三島のポートレイトを撮影した写真家の写真。細江英公かと思うが、違う。ずいぶん年寄りで短い白髪、茶色のサングラス。ビーチパラソルの下に折りたたみ椅子とテーブル。撮影そのものは助手に任せているようだ。ディレクタータイプの写真家だ。まるで黒沢明のような風貌だが、どこかホモセクシャルな印象がある。
よく見ると、唇をペンキのような鮮やかな赤で化粧をしているが、唇全部ではない。上唇の下の部分が特に赤い感じ。顔にフォーカスされたショット。化粧ではない。まるで「ペンキ塗りたて」のように、その部分がつややかに濡れている。伸びた髭にもペンキがかかっている。
ぼくは、歳によらずお洒落だな、と思う。

+ + +

夢。

なにかの研究所。〈ぼくら〉は男女数名で特殊な疫病の研究をしている。研究所は奥に細長く、最奥部にどんな施設があるのか、〈ぼくら〉さえ知らない。
〈ぼくら〉は言葉では表現しがたい連帯感で結ばれている。使命感、というよりは秘密結社めいたもの。〈ぼくら〉と外界との接触はいっさいない。

施設に髪の長い子どもが現れる。10歳くらいだろうか。少年か少女か分からない。現れたり消えたりする。昔の特撮映画のようだ。探してみてもどこにも見つからないのに、不意に機器の間から現れたりする。とても不思議に思うけれど、いつのまにか〈ぼくら〉はこの子を受け入れ、愛おしく思うようになる。

あるときこの子が「お父さんの様子がおかしい」と助けを求めて〈ぼくら〉のところにやってくる。子どもの父親は研究所の最奥部にいるらしい。〈ぼくら〉は皆でそこに行くことにする。

最奥部は暗い。いわゆる「レベル4」の施設。〈ぼくら〉はガラス張りのレベル4施設入り口に立つ。ガラスの向こう側も暗くどんな実験が行われていたのかわからない。が、研究室の白いソファにだけスポットライトが当てられていて、そこに白衣の男が横たわっているのが見える。彼は死んでいる。体は腐敗しすでに膨れ上がっている。体液が周辺に流れ出し凄惨な光景だ。
子どもの父親はすでに死んでいたということだ。あの子にどう説明しようかと思う。隔離施設だから死臭がするはずないのに、〈ぼくら〉は死臭を感じる。
子どもは何故、「父親が死んだ」と言わず「父親の様子がおかしい」と言ったのだろうか。不審に感じるが、とにかく〈ぼくら〉でその子を大切に育てようと思う。

シークエンスが替わる。ぼくは白髪の男と施設の外で会っている。明るく青空が広がる暖かい日。白髪の男は子どもの父親だ。彼はぼくに背中を向けて立っているから表情は読み取れない。
彼は「その子は事故でずいぶん前に死んだのです。子どもの霊がまださまよっていたのですね」と悲しそうに言う。ぼくはあの愛らしい子どもがこの世に存在しないということにショックを受ける。同時に、子どもと二度と会えないことを悟る。
 
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2007年01月02日

我々は自らを律するルールの中で不条理に立ち向かっていくしかない――神山健治『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』

神山健治『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』

昨年末は仕事に忙しくて、ろくにDVDをチェックする暇もなく過ごしていた。『攻殻機動隊 Solid State Society』なんて1ヶ月も前に発売されていたのに、だ。ありえねぇよ。
で、ようやく通して観る。さすがに作画等映像のクォリティは素晴らしいし、これだけ見事なプロットを書ける人は、宮崎駿が衰弱してしまった現在、押井守と神山健治くらいじゃないか。

神山健治といえば、フリーとはいえProduction I.G.を拠点とする押井塾出身のクリエイター。前シリーズ2作は「押井守を意識的にコピーした」とどこかで発言していたように、「社会」そのものが持つ怪物的で不条理で〈無意識的〉力を描くのが得意だ。押井の発想の延長上に〈スタンド・アローン・コンプレックス〉があるわけで、それを見出した(創造した)神山健治は、押井以上に押井的だ。
この『攻殻機動隊 Solid State Society』について言えば、これまで以上に押井の志向する方向性を推し進め、ついに「具体的な未来像」までをも提示出来得ているのではないかと思う。

たとえば、公安9課の追う超ウィザード級ハッカー「傀儡廻」の正体は三重である。まず、ソリッド・ステイト・システムを構築したコシキというリモート義体遣いの官僚、同時にネットを彷徨していた少佐が並列化を繰り返した結果一人歩きをはじめた「少佐の無意識」、そして真の正体はおそらく、ネットに泡のように生まれたり死んだりしながら拡大し続ける〈ソサエティ〉とよばれる何かである。

神山健治『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』

〈ソサエティ〉とはなにか。
貴腐老人のひとりは「ソリッド・ステイトに住む者たちの総意」を口にし、ゴースト・ハックされたテロリストは傀儡廻のことを「誘拐のインフラ」と言う。
〈ソサエティ〉は、単に無意識的で目に見えないものではない。それはたしかに無意識的な諸欲動を備給され駆動の糧とするが、なにより機構でありインフラである。
〈ソサエティ〉の概念として、おそらくフェリックス・ガタリのいう「機械状無意識」がいちばん近い。ガタリの『機械状無意識』には、つぎのように定義されている。

それ(機械状無意識 l'inconscint machinique)は、単にそこに宿されているものがイメージや言葉だけではなく、あらゆる種類の機械装置であり、これらの機械装置によって無意識はこれらのイメージや言葉を産出したり、再現したりするように仕向けられるということを強調する・・・

個人の内側にあって、その人が世界を知覚したり、自分の身体、自分の領土や自分の性を体験するやり方においてのみ働くだけでなく、夫婦や家族や学校や近所や工場や競技場や大学等の内側にあっても働くものなのである。
「機械状無意識」の相のひとつは、ナショナルな共同体やさまざまな様態をした抑圧の主体として出現する。が、それは基本的に(すくなくともその出現の当初においては)法や官僚組織というプロセスを通して現れる。
しかし、未来の電脳化された世界においては、機械状無意識はリアルワールドにごく容易にその姿を現すことになるだろう。当初は、コシキや少佐のような〈個〉からはじまるのかもしれない。しかし、それがハブを介し〈ソサエティ〉へと拡大していく。

神山健治『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』

傀儡廻は、「誘拐のインフラ」の着想についてこう語っている。

傀儡廻
この国はいい加減、誰かが何とかしなければいけない状態に来ている。600万を超える貴腐老人、失業率の増加と反比例するように減少を続ける労働人口、そして少子化。挙げ始めたらきりが無い。
知っているか? これだけ少子化が叫ばれる中、年間5万人もの6歳未満の子どもが無意味に命を落としていることを。その内の3割はドメスティックな暴力による虐待死、しかもその内の8割は児童相談所や警察など関係機関が自体を把握していたにも関わらず防ぐことができなかったものだ。この国のシステムは既に崩壊し、〈個〉のポテンシャルは著しく低下してしまっている。
そこで私は無意味に損なわれてしまうゴーストのリサイクルを思いついた。虐待監視ネットから危険な子供を見つけ出し、戸籍をロンダリングする。それで新しい人生を歩ませようと考えたわけだ。

少佐
それがソリッド・ステイト・システムの基本概念か?

傀儡廻
そうだ。だがそれには貴腐老人たちの協力は不可欠だった。彼らは自分たちの存在意義を見出すことに対しては貪欲だ。DNAを残せなかった代わりに、記録上のポスタリティを作り財産を譲り渡す。それで資産を国に没収されることなく、経済行為に加担し続けることが出来るわけだ。彼らは喜んで賛同してくれた。

少佐
それって犯罪行為って分かってる?!

傀儡廻
ああ。だが結果を優先した場合それはやむを得ない選択だった。危機的状況にある子どもを一刻もはやく救うことのほうが先決だったからだ。それで自分の人生を棒に振ったとしても後悔はない。いやむしろ官僚になった意味があるというものだ。あとはソリッド・ステイト・システムが永久機関となるよう、構造を強化してやればそれで良かった。
もともと、犯罪とはいえ、善意のインフラとして出発したソリッド・ステイト・システムは、筋金入りのナショナリストである宗井代議士によってパワーエリートを養成する非公然の国家組織と化し、カルマ将軍率いるテロ組織の大規模な細菌テロ計画に利用されそうにもなる。
傀儡廻はまずカルマ将軍とその一派のパージに成功し、さらに宗井をもパージしようとするが公安9課による介入で失敗。そこで、当の公安9課(というよりも少佐)を利用して宗井のパージを画策する。

神山健治『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』

〈個〉から生まれた〈ソサエティ〉の暴走を抑えるのは、結局〈個〉でしかない。だから傀儡廻は少佐を選ぶ。傀儡廻が、少佐の並列化の結果生まれたゴーストだからではない。(ところで傀儡廻は、はたしてゴーストといえるのだろうか? 結局物語の中では明かされないが。)

トグサは最後にこう独りつぶやく。

願わくば成長した彼らが、将来〈個〉のポテンシャルを上げて我々の出せない答えを見つけ出してくれることを祈るばかりだ・・・
ヴィリリオのいう「速度の政治」や「遅延のテロル」だけが未来の主問題ではなかろう。S.A.C.を機械状無意識と絡めて考えたテキストが見当たらないのはちょっと残念だ。電脳化世界に生まれる機械状無意識の様態を、詳しく分析することのほうが先ではないか。

+ + +

おまけ。
このプロットでテレビ・シリーズをやって欲しかった気がする。細部へのこだわりと錯綜する伏線こそが『攻殻機動隊 Stand Alone Complex』シリーズの楽しみだ。100分では到底足りない。

+ + +

もうひとつ。「Solid State Society」という言葉で思い出すのは、YMOの「Solid State Survivor」。中期YMOのパンキッシュで素晴らしい曲。おそらくこの音楽も神山健治の念頭にあったんじゃなかろうか。

 Solid State Survivor
 Lyrics:Chris Mosdell Music:Yukihiro Takahashi

The strangeness of the strangers
Second hand teenagers
Face to face they face
A chemical race.

Minds blind
Empty eyes
Blank tongues ablaze
No names
Breath in dreams
Stand in lines, cracked smile.
Life to life collides
Solid state survivor.

And Marilyn Monroe’s not home
So I sit alone with the video
And Tokyo Rose is on the phone
Dressed to kill in her skin tight clothes
Here’s to a humanoid boy
Smiling, happy and void
Solid state survivor.
士郎正宗・原作 神山健治・監督『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society
士郎正宗・原作 神山健治・監督

Color, Widescreen, Dolby
バンダイビジュアル
2006-11-24
ASIN: B000GLKNO6
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フェリックス・ガタリ Felix Guattari『機械状無意識―スキゾ分析』機械状無意識―スキゾ分析
フェリックス・ガタリ Felix Guattari
高岡幸一(訳)

単行本: 418ページ
叢書ウニベルシタス 308
法政大学出版局
1990-10
ASIN: 4588003089
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Yellow Magic Orchestra『Solid State Survivor』Solid State Survivor
Yellow Magic Orchestra

Virgin
2004-02-02
ASIN: B0000DEL9V
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遁走阿蘇日記・その4

ともちゃん、がんばる。

あけましておめでとうございます。
今年の初夢は、「保育園で働いているぼくが白ヒゲの園長先生に精神分析される」という、めでたいのかめでたくないのかよくわからない内容のものでした。
とはいえ、今年の元日は比較的暖かい日。午前中は天気もよく、気分のよい新年でございます。

朝から、前日までに作っておいたおせち料理をお重につめたり、お客さんの用意をしたり、たかちゃんがビールを9本も飲んじまったのでこりゃ足りないと買出しに行ったり。

あゆむさんは遊びながら待つ。

ともちゃんの力作。

食べて飲んでばかりで一日が終わりました。極楽極楽。
明日は帰福予定。あさってから地獄の年始進行です。

たかちゃんもがんばった。  太巻きがたくさんできた。  おせちが美味しそうにできました。
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2007年01月01日

遁走阿蘇日記・その3

お煮しめを作る。

毛ガニです。

今年も最後。朝から買出しに行ったり、おせちを作ったり忙しい日。といってもぼくは、味見をさせてもらったり、買い物について行ったり、あまり役にたっていないけれども。
おせち作りも一段落、紅白を途中まで見て阿蘇神社に初詣に出かけました。あゆむさんは熟睡していたのであえて起こさず大人だけの初詣。恐ろしく寒いんだけど。マイナス6度くらいあるらしい。

阿蘇神社の楼門でともちゃんを。

阿蘇神社の楼門。  阿蘇神社のとても立派な扁額。  年が明けると同時に本殿の扉が開く。  月。

阿蘇神社はおそらく九州でもいちばん古い神社のひとつ。大きな楼門をくぐると、これまた大きな本殿がある。ずいぶん早く来たんだけどすでに参詣の人たちが並んでいる。今年は義弟の受験が控えているので絵馬を描いて奉納しているうちにどんどん人が増えてくる。

年が明けると同時に本殿の扉が開くので、外では時計や携帯を見ながら、みんなカウントダウン状態。隣の高校生くらいの女の子たちは、扉が開くと同時に「ヤベーッ」と叫びだし、かなりなハイテンション。なにがヤバイんだかよくわからないけど、ついぼくも「ヤベーッ」と叫んでしまう。

待つ。

甘酒を飲む。

おみくじを引こう。

おみくじを引きました。ともちゃんは大吉、ぼくは吉、義弟は末吉。
おいおい、だいじょうぶか、義弟よ。

おみくじを引きました。  「吉」でした。  破魔矢が並ぶ。  夜の楼門もきれいだ。

あゆむさんへお守りを。

あゆむさんへお守りを買いました。悩んだ末に、あゆむさんの生まれ月、6月の花「あやめ」が刺繍されたかわいいお守りをいただきました。これであゆむさんは今年も元気に暮らせるでしょう。

昨年はたくさんのひとにお世話になりました。本年もどうぞよろしく。
 
タグ:阿蘇 写真
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2006年12月30日

遁走阿蘇日記・その2

阿蘇2日目。
今日の午前中はお餅をつく。「つく」といっても、機械を使ってこねくりまわすんだけれども。とはいえもち米を蒸したり、丸めたり、たいへん。
家族総出でお餅を丸める。もちろんあゆむさんも。つきたてのあんこ餅は美味しいねえ。

つきたての餅は美しいですねえ。

みんなで楽しいもちつき。

やさしく丸める。

あんこを包むには熟練の技が必要(ウソ)。

午後から月廻り公園へ行く。寒くてしかも年の暮れで、誰もいやしない。夏にはポニーや羊さんもいたけれど、今日はなにもない。かろうじてゴーカートで遊べたので、ともちゃんとあゆむさんが乗って遊ぶ。さすがに1.2kmの長さのゴーカート。行って帰ってくるまで、ずいぶん時間がかかるもんだ。

カウボーイ疾走??

さらに長陽村の地獄温泉へ。先日『地球ふしぎ発見』に出ていた「すずめの湯」へ行く。混浴のしかも露天風呂だけど、さすがにテレビ効果でお客さんは多い。温泉成分の濃縮した、お風呂の底に沈んだ泥をパックみたいに肌にすり込むとすべすべになるらしい。というわけで、女性客も露天風呂にじゃんじゃん入ってくる。『地球ふしぎ発見』で紹介されたせいか、ほとんど泥は残っていないのが残念。
お風呂に入ると底の砂地からプクプクと泡がわきあがってくるのが不思議。硫化水素の臭いの強い温泉に入るのがはじめてのあゆむさんは、「ここのお風呂にはねえ、卵が10個入ってるのよー」とぼくに解説してくれました。

最初はともちゃんも恥ずかしがって内湯に入っていたけれども、結局勇気を出してみんなで入ることに。楽しすぎて、ついつい1時間半も入ってしまった。家族で入るひとも多いですねえ。岡山の人、大阪から来たあゆむさんもかなり愉しんでくれたみたい。ポカポカで家に帰る。

地獄温泉。

すずめの湯へ。

さすがに阿蘇は寒いなあ。雪も残っているし、朝は霜がすごい。
もう明日は31日。今年も最終日。なんだか淋しい。年が明けて仕事が始まることを考えると、もっと淋しくなる。

霜で飾られた葉ボタン。
 
タグ:写真 阿蘇 温泉
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遁走阿蘇日記・その1

阿蘇でも元気なあゆむさん。

年末進行の地獄。12月28日は、朝6時半に出勤し夜12時まで仕事をしていました。29日は朝の10時半のリレーつばめで熊本へ。ともちゃんもぼくもヘトヘトでしたが、あゆむさんだけは元気です。

支那竹入り支那そば@北熊浜線店

たかこ姉ちゃんと合流して、お昼は北熊浜線店へ。なんだか熊本に帰ると、こればっかりだなあ。「支那竹入り支那そば」を食べる。太目のちぢれ卵麺でございます。いつもは野菜札幌そばを食べる(ものすごいボリュームの野菜炒めが乗っている)んだけど、この日は支那竹が食べたい気分。
トッピングは支那竹、葱、チャーシュー、揚げニンニクのチップ。かなり背脂多めなんだけど、スープはミルキーで、しかもあっさり気味。チャーシューはゆで豚系、揚げニンニクのチップがいいアクセントになっている。量が超多いので、大盛りにするには気合が必要。北熊は、いわゆる熊本ラーメンとは別系統で、しかもお店によってぜんぜんクオリティが違うんだけど、浜線店は美味しいお店です。

で、夕方、阿蘇へ。みな温かく迎えてくださる。ありがたいことです。
ビールを飲みながらの夕食の後、さっそく坊中温泉などへ。というわけで正月休みのスタート。

リレーつばめのあゆむさん。  「世界の車窓から」風。  北熊浜線店にて。  ビールが美味しいです。
 
posted by Dr.DubWise at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | day | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月25日

あゆむさん、ABCクッキング・スタジオで修行をするの巻

キャナルシティのABCクッキング・スタジオへ、あゆむさんをパティシエ修行に行かせました。小学低学年から幼児を対象としたキッズ向けのイベントもちゃんとあるのがすごいABCスタジオ。食育まで踏み込んだ授業をしてくれるそうで、興味があってあゆむさんを参加させました。

結果的には、あゆむさんはぜんぜん飽きずに最後まで参加できたし勉強にもなったよう。食育に関心がある親御さんにはオススメかもしれない。食は、もはや教養ですからねえ。あゆむさんには食をおろそかにするような大人にはなって欲しくない。

で、以下レポート。あゆむさんはクリスマスケーキを作りました(もちろん出来たケーキは持ち帰ります)。
ぼくは仕事の都合で見学にいけなかったけど、写真のあゆむさんはずいぶん楽しそう安心しました。

まず、制服と帽子を着用。
まず、制服と帽子を着用します。親は外で待機。と言ってもガラス張りなスタジオなので、子どもたちにも常に親の姿が見えています。

生地をまぜまぜ。
生地をまぜまぜします。ひとり10回ずつくらいこねくり回せるみたい。

スポンジにシロップを塗る。
スポンジは既に出来ています。ロールケーキを作るので、刷毛でシロップを塗ります。

クリームを塗る。
次にクリームを塗ります。クリームにはヨーグルトも混ぜてあるので、さわやかな酸味があります。

イチゴジャムものせる。
イチゴジャムものせます。

まきまき
それをまきまきします。

先生と一緒にぐるぐるまきまき。
先生と一緒にぐるぐるまきまきします。

ちょっとひとやすみ。
ちょっとひとやすみ。

生クリームを乗せてデコレーション。
輪切りにしたロールケーキを倒し、土台にします。上に生クリームを乗せてデコレーションしていきます。

粉砂糖もふります。
粉砂糖もふります。

さらにデコレーション。
さらにクッキーやマジパンのサンタなどでデコレーションします。

できたー!
できたー!

ちょっとすごくない?
ちょっとすごくない?

あげるひとに手紙を書く。
ケーキをあげるひとに、心をこめて手紙を書きます。

もちろん試食時間もあります。
もちろん試食時間もあります。

これが完成品。
これが完成品。4歳児が作ったとは思えない出来の良さ。

+ + +

というわけで最近、あゆむさんを本気でクッキング・スタジオに入会させようかと考えている次第です。
 
タグ: 食育
posted by Dr.DubWise at 00:19| Comment(2) | TrackBack(0) | buono ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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